政治家ならばクリーンなイメージ、企業ならば洗練された広告、ビジネスパーソンなら目を引くプレゼンや身だしなみ。社会において、自分をよく見せる努力は大切である。しかし、外面ばかりを気にして内面を磨かないから、汚職やごまかし、果ては薬物が蔓延る世になる。
そうならないためには、毎日自分の心に鏡を当て、一人ひとりの真摯な自省が大切である。若き日の常朝がつけた「残念記」のエピソードに、自分で心の清浄を保とうとする気持ちを学ぼう。
規範は自分でつくり、自分で守る
一日に一度も鏡を見ない人はない。朝になるか、夕になるかは人によっていろいろあろうが、どこかで自分の顔を見ている。そして、汚れがあれば洗い、崩れていれば直すのが常である。女性であれば人一倍時間をかけて品をつくるであろう。これは、形から自分の姿を見ているのである。同じように心にも鏡をあててみることも今は必要なのではあるまいか。
若き時分、残念記と名づけて、その日その日の誤(あやまち)を書きつけて見たるに、二十三十なき日はなし。果もなく候故止めたり。今にも一日の事を寝てから案じて見れば、言ひそこなひ、仕そこなひ無き日はなし。さても成らぬものなり。利発任せにする人は、了簡に及ばざることなり。
(現代語訳)
若い時に、残念記と名づけて、その日その日の失敗を書きつけてみたが、二十や三十ない日はなかった。これでは限りがないのでやめにした。今でも、一日のことを寝てから反省してみると、いいそこないや仕そこないのない日はない。何とも難しいものである。利発にまかせて処する人には考えおよばないことである。
強気一点ばりと思われる常朝が、ここでは自制のきいた老翁(おじ)といった感じである。これでみると、常朝という人物は、若い時から自省の心が強かったようである。それも自省のための自省ではなく、武人としての規範を求める苦闘でもあった。