いま、なぜ武士道なのか

2009年9月19日

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 論語の学而篇(がくじへん)に「われ日にわが身を三省す」という言葉がある。これは曽子(そうし)がいったということになっている。その三省の中味はこうである。「他人のことをいい加減に済ませていないか」、「友人に対して誠実であるか」、「確信のないことをいいふらしていないか」ということである。常朝もいっているように、利口ぶる人間はこういう態度はとれないであろう。「利発任せにする人」とは、今流にいうと責任転嫁のうまい人ということになる。他人のせいにし、制度のせいにし、社会のせいにする風潮は根強い。しかし、それで主体的に問題の解決をはかることができるであろうか。こういう態度で物事が前進することはまずあり得ない。なぜなら、反省し、改善しなければならないのは、自分ではなく先方であるからである。自分は正しいのであるから反省などする必要はない、ということになる。これでは問題の本質をつかむことができないばかりか、解決の糸口さえもわからない。他者にゲタをあずけることはたやすい。しかし、それは自らの足で立とうとする武人のすることではない。『葉隠』はあくまで忠を通して自立をめざした一人の人間の生の軌跡なのである。

 

◆『いま、なぜ武士道なのか―現代に活かす「葉隠」100訓』

 

 

 

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