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今年の中秋の名月は10月3日だそうで、この日は奈良の各地で観月の行事がおこなわれる。唐招提寺では鑑真和上の肖像を安置した御影堂が公開され、観月会(かんげつえ)が催される。
藤原仲麻呂が乗った第一船以外の三船は、前後はしつつも無事に日本へたどり着く。このとき、第二船にはすでに失明している鑑真が乗っていた。
天宝元年(天平14年/742)10月、日本僧の栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が揚州の大明寺にいた鑑真のもとを訪れた。正式な受戒システムがないがゆえに多くの課題を抱えている日本仏教を救うため、誰かを派遣してほしいとふたりは懇願した。話を聞き終えた鑑真は月の話を始めた。
山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁
私はこんな詩を知っている。それは日本の長屋王が中国の僧に施した千枚の袈裟の縁に刺繍されていたものだ。「山川、域を異にすれども、風月、天を同じうす、諸の仏子に寄せて、ともに来縁を結ばん」。中国と日本は国土が違い、山や川は異なる。遠く離れた異国である。しかし、空を吹く風、空にかかる月は、同じもの。鑑真には、美しい月を仰いで日本へ思いをはせたことがあったに違いない。
昭和50年(1975)、中国仏教協会会長の趙樸初が、日中仏教協会の訪中団へ贈った詩のなかに「和風舞長屋(和風、長屋に舞い)」の句があった。日本と中国の仏教文化交流に尽力する人々にとって、長屋王の詩句は、現代にもなお生き続けている。
「昴」という歌がある。作詞・作曲・唄は、いずれも谷村新司。「目を閉じて何も見えず、 哀しくて目をあければ、荒野に向かう道よりほかに見えるものはなし‥」と続く。これは映画「天平の甍(いらか)」とタイアップしたニッカウィスキーのCMのイメージソングである。「天平の甍」は、鑑真の苦難の日々を綴った井上靖の小説で、これが昭和55年(1980)に映画化された。「目を閉じて何も見えず」。当たり前のようだが、鑑真のイメージが内包されていることを知ると、その歌詞は胸に迫る。が、この歌は、鑑真その人のことを歌っているわけではない。「哀しくて目をあければ」とあるように、目をあけられるからである。