奈良は月が美しい。
私は徳島で生まれ、伊勢で育ち、京都で過ごして、奈良に来た。そして奈良で月の美しさに目覚めた。
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阿倍仲麻呂は、養老元年(717)に遣唐使の一員となって唐へ渡った。まだ17歳の若者だった。それから36年が過ぎた天宝12年(天平勝宝5年/753)、遣唐使船の帰りの便を利用して、仲麻呂はようやく日本へ帰ることになった。遣唐使船は4艘で、仲麻呂は遣唐大使の藤原清河とともに第一船に乗り込んだ。場所は明州、現在の寧波である。船出は11月16日が予定されていた。前日の15日は満月。中国の夜空に浮かぶ美しい月をみた仲麻呂は、かつて故郷でみた月を思い出し、望郷の思いをこめて歌を詠んだ。
あまの原 ふりさけみれば かすがなる みかさの山にいでし月かも
世に広く知られたこの歌は、奈良時代の『万葉集』には見えず、10世紀になって編まれた『古今集』に収められている。歌の前に「もろこしにて月を見てよみける」とあって、仲麻呂が中国で詠んだものとされているが、実はどうもはっきりしない。
『古今集』に「明州といふところの海辺にて‥‥夜になりて月のいとおもしろく差し出でたりけるをみて詠めるとなむ語り伝ふる」とあるように、語り伝えられてきた仲麻呂伝説のようなものであって、それが本当に事実であったかどうかは確証がない。
しかしいずれにせよ、「かすがなるみかさの山にいでし月」は、今もなお格別に美しい。「かすがなる」は春日にあるという意味。「みかさの山」は三笠山(御蓋山)のことで、現在の三笠山(若草山)ではない。御蓋山は若草山の南、春日山の西にある、神の山。春日大社の第一殿に祀られている武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、常陸国(茨城県)の鹿島から鹿に乗って奈良に至り、御蓋山に降り立ったといわれている。
仲麻呂の歌は「奈良は月が美しい」と言っているようなものだと思う。奈良を想うとき、真っ先に目に浮かぶのが三笠山の月であったのだろう。『万葉集』にも「三笠山の月」を詠んだ歌がふたつあり、三笠山の月が人々の心をとらえていたことがわかる。
ちなみに、仲麻呂が乗った第一船は、沖縄までは来たが、そのあとベトナムへ流されてしまう。ついに帰国できなかった仲麻呂は、奈良に思いを残しつつ、やがて異国の地に骨を埋めることになる。