2024年4月19日(金)

この熱き人々

2015年10月4日

 「ホント、路地こそ命、みたいに遊びに夢中でしたから。いまでも僕のお菓子の新作は、子どもの時の自慢話と何ら変わらないんです。学校で図画工作の先生に『こんな大きなロボット作ったよ』、オカンに『こんなにザリガニ捕ったで』と言うのと同じ。心が躍るトピックスに夢中になり、それを誰かに伝えてリアクションを得る。時にはほめてもらい、時にはやりすぎて叱られる。そういう感覚の中でお菓子を発信し続ける人でありたいんです」

多忙な時間の合間にお菓子教室で指導

 言葉があふれてくる。伝えたいことが山ほどあって、ついつい早口になる。

 「大人になると、子どものころはよかったのにと言う人いるでしょ。子どもに向かって、社会に出たら子どものようにはいかんのやと言う大人にだけはなりたくないって思ってましたから」

 子どものころの思い出は、多くの場合、失われてしまったものへの感傷的なやるせなさとセットになっている。だが目の前の小山は、今も楽しいことを見つけて、夢中になり、目を輝かせて伝え続けている。訳知り顔で冒険の無謀を諭したり、意見したりする大人くさい大人になどならないまま、自慢話を続けながら51歳の今を生きている。

 「いろいろな人の自慢話を聞いていて、同じ話ばっかりして新しいことを生み出さない人は嫌われるってことに気づいたの。つまり、ずっと自慢話をしたければ、好奇心の扉を開け続けて、子どものピュアなものの見方を維持していくことが大事。子どものころは何の技術もいらなくて、ネタの新鮮さだけが重要だったけど、今は身につけた技術の力でそれをお菓子に変えるってことです」

父と同じケーキ職人の道へ

 全方位の好奇心はそのままに、自慢話の方向をお菓子とそれを生み出す技術に絞り込んで、尖鋭化させながら止まることなく追い求める。小山にとって、お菓子との抜き差しならない出会いがどこかであったのだろうと思う。初めておいしいと思ったお菓子の記憶がその手掛かりになるだろうか。

 「何だったかな。幼稚園のころ、カスタードプリンをおいしいと思った。父がケーキ職人だったんです。家から歩いて10分くらいの、和菓子やケーキの卸の会社に勤めていて、スが入ったり、カラメルが混じってしまった不良品を見つけると食べさせてもらえたんです。炊き上げたカスタードクリームもおいしかった。完成品じゃなくてお菓子の部品や、切り落とされたカステラのヘタもおいしいんだって思いましたね」


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