2024年4月19日(金)

この熱き人々

2015年10月4日

 お菓子の現場を作り手に近い位置から覗(のぞ)いたり、味わったりしていたということだ。でも、中学や高校の時の将来なりたい職業は学校の先生、アートディレクター、デザイナー、ミュージシャン、歯科技工士、プロデューサー……と山のようにあったが、その中にケーキ職人はなかったという。

緑あふれる敷地には小山の面影を映すかのような少年のオブジェが

 「息子の僕へのオカンの意気込みがすごくて、ケーキ職人は絶対ダメ。もっと大きなところで世の中を見られるエライ人になることを期待してた。教育熱心でね。でも、成功体験を感覚として教えてくれたのも母なんです。だって、虫捕りも魚釣りもオトンよりオカンのようにやるとうまくいくんだから」

 京育ちのおとなしい父と、田舎育ちの勝気な母。ストレートにビンビン伝わってくる母の願いに自然に影響されながら、将来の夢が広がっていた小山が、高校2年の冬に、それまでの希望の職業リストになかったケーキ職人になると突如決めている。

 「オトンの職場でバイトしたんです。高2の冬休みに。クリスマスケーキで忙しくて洋菓子部門は徹夜なのに、和菓子部門の人は帰っていく。で、僕は手伝ってほしいと頼んだんです。生まれて初めてオトンにめちゃくちゃ怒られました。ふてくされて朝方に家に帰る途中、オトンが『すまんな。お前の言ってることは間違いやないけど、いろいろな事情があるんや』って。小さい時に父を亡くしたオトンは、父親として僕にどう接していいかわからんかったと自分の弱さをしみじみ語ってくれて。初めて父の人生を想像して、もういろいろなことを一気に反省した。父を見る目が変わって、絶対に僕はケーキ屋さんで成功してやるって決意をしちゃったんです」

 高校2年の12月23日の深夜からイブの明け方の出来事。自分の将来が決まった瞬間を、そこまでくっきり覚えている人はなかなかいない。控えめで印象の薄かった父の強さと切なさが強烈に小山の中に飛び込み、父親と父親の仕事を自慢したい、それができるのは自分しかいない、そんな思いが母の大反対を押し切って一気の決断を生んだ。

 「オトンが『ガトー』って洋菓子の雑誌を毎月家に持ってきて、そこにヨーロッパの飴細工とか載ってるの。親父の仕事から想像もできない。これって誰の仕事なんやって調べたらケーキ職人の仕事やってん。こういうこともできるんなら、デザイナーとかアートディレクターとかの仕事の出番もありや。ひとつの仕事を極めることは、ほかの希望を諦めることやなくてみんな生かすことやって気がつきました」

 1年間大阪の辻調理師専門学校に通った小山が就職した先は、神戸の老舗ケーキ店「スイス菓子ハイジ」。そこが小山の仕事の第一歩である。

 「ちょっとでも大きな会社を選んだほうがオカンが安心してくれるかと思ったから。面接の時に『僕はこの会社の社長になりたい』って言ってしまった」


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