カカオとの出会い
オトンとオカンの両方の顔を立てつつ、1983年、19歳でハイジに入社した小山は、弱冠21歳で新規店舗の店長になり、商品開発や営業など時にはケーキ作りの現場を離れ背広での仕事もこなしている。小山が第2の父と慕うハイジの社長は、真っ直ぐでどんな仕事にも手を抜かず全力で取り組む小山の気性を面白がって重用していたようだ。
「社長に、お前はアホなのか賢いのかようわからんが、尖ったものは足を引っ張られる。それを乗り越えるには人間を大きくするか、圧倒的な技術を身につける覚悟がなきゃならんって言われた。だから白衣を脱いでた時期もコンクールにだけは出させてもらいました」
会社の仕事を終えた真夜中に勉強し、テレビのケーキ職人選手権で優勝している。小山がハイジを退社したのは、99年12月31日。病気の長男の治療費を得るために、菓子のコンサルティングや新商品の提案など日本中を飛び回ってガムシャラに働いた。小山ロールは、その必死の過程で生まれ、小山をケーキ職人選手権のグランドチャンピオン大会優勝に導いた。
「すごい生地ができたんです。この生地に合う商品を考えたらロールケーキになった。コンクールもどんどんエスカレートしてマニアックになって、見たこともない姿や食べたことのない味になっていくのに対し、そうじゃないだろうって思いがあったんです。作品の名前は?って聞かれて、とっさに小山ロールですって答えてました」
誰でも知っている普通のロールケーキだけれど、とびきりおいしい。その小山ロールを目玉商品にして自分の店を出したのが、兵庫県の三田の地だった。自然が豊かな三田に決めたのは、気持ちのいい場所だったから。新しいお菓子ができた時、お菓子の味だけでなく、青い空や風、空間やスタッフの姿、すべて重要な要素だというのが小山の考え方だ。五感で味わう。周囲の大反対を押し切って開店した店に人が押し寄せ、敷地内にジャンルごとに店を分けていったが、全国展開やデパート出店という拡大は拒み続けている。
「僕は心配性というか臆病というか、自分自身も自分の空間も商品も、膨張していく感覚、薄らいでいく感覚がものすごくイヤやったんです。できれば凝縮していきたい。でもお客さまの買いにくさは何とかしたい。で、店舗を分けた。専門店になると、前よりも真剣に取り組まなあかん。だからこの形は拡張、拡大ではなく自分では凝縮やと思ってます」
その中で、ロジラの前身、チョコレート専門店の「キャトリエンム ショコラ 進」が生まれ、小山は本気に真剣勝負でより深くショコラと向き合うことになった。
「カカオは知れば知るほど、それまでの無知を知らされる。勉強すればするほどめちゃくちゃ高度でむずかしいんだけれど、夢中にさせてくれる」
新しいカカオに出会うと、新しい味覚が広がる。醗酵時間や乾燥、ローストの具合、組み合わせる素材で無限に表現世界が広がる。