2024年11月23日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2009年10月1日

 「われわれが政党比較を行う際、日本の自民党は非常に重要な問題だ。理由は簡単だ。日本では1955年から、政党体制は実際のところ一党体制すなわち自民党の一党長期執政であり、93年まで38年間にわたり長期執政だった。自民党に対してわれわれは一貫して関心を抱いてきた」。

 筆者の知り合いである王教授は、開明的な研究者である。たびたび日本を訪れ、日本の政党制度についても詳細に研究し、指導部にも提言している。中国指導部は、「日本は多党制にもかかわらず、なぜ自民党は一党体制を維持できたのか」という点に関心を持っており、共産党一党独裁体制にも応用できるのでは、と考えていたからである。

 ちなみに改革派の法学研究者・賀衛方北京大学教授は筆者に対し、共産党も自民党のように派閥を作れば、党内議論が活発になるとし、中国の政治改革の方向として「自民党のようなあり方も選択肢の一つだ」との見方を示したこともある。

 いずれにしても、共産党にとって自民党は長期安定システムのモデルだったのである。その自民党が、一夜にして下野した。民心を失ったままでは共産党も自民党と同じ道を歩むのでないか。そして直接選挙をはじめとする西側民主主義の怖さも思い知ったに違いない。

 偶然かどうかは定かではないが、4中総会「公報」は、その20日前に起こった「自民党崩壊」という流れを見れば、その悲壮感の意味がより理解できるのである。

崩壊したソ連に近づく中国共産党の寿命

 共産党が今、教訓とするのは中国史、自民党、そして91年末に崩壊した、同じ社会主義の仲間だったソ連だ。当時の最高実力者・鄧小平氏は同年8月、ソ連解体の引き金となった保守派によるクーデター未遂事件が発生した翌日、江沢民共産党総書記(当時)らを一堂に集め、こう危機感をあらわにした。「中国が安定しているのは89年の動乱(天安門事件)で社会主義を堅持し、さらに改革・開放も堅持しているからだ」(『鄧小平年譜』)。そして翌年、老体にむち打ち改革・開放加速への大号令を呼び掛けた鄧氏の南方視察につながる、というわけだ。南方視察は、共産党の永続に向けた鄧氏の賭けだった。

 04年には中国国内でこんな議論が出た。「ソ連共産党崩壊時の党齢は93歳。執政年齢は74歳。ソ連の失敗は、共産党と民衆との関係が良好でなかったことが大きな原因だ」(『瞭望』)。4中総会「公報」は「共産党成立88年、執政60年、改革・開放指導30年」と触れたが、ソ連共産党の「寿命」が気になっている表れだ。

 胡錦濤総書記は「党の執政地位は現在あるからと言って永遠にあるものではない」と繰り返しているが、鄧小平氏がかつて成し遂げた党の延命をどうやって実現するのか。そのカギは、「民」の声を政治に反映させる制度化を急ぎ、民から信頼される執政党に生まれ変わる政治改革を実現することにしか答えはない。

※次回の更新は、10月8日(木)を予定しております。

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