リーダーであれば、迅速な判断が求められる場面に出会うこともしばしばである。思わず上司や同僚に相談して、よい意見を求めたくなるというものだ。
しかし『葉隠』は、大事なことはひとりで決めよと説く。さすれば覚悟が生まれ、気迫も出てこよう。また、ひとり腹の内での決断ならば、他人との面倒ないざこざや嫉妬に巻き込まれることもない。
うまくこなそうとして迷いの気持ちを他人に相談し、かえって失敗することは避けたいものである。
大事なことは自分で決めるに限る。大事であればあるほど人に相談したくなるものであるが、それは失敗への恐怖心がそうさせるのである。過ちを犯したくないから慎重になり、慎重になるから迷う、迷うから相談をする。ほとんどの人がたどる道である。そして、ついには失敗をするという結果に終わることが多い。ではどうすればよいか。
我が身にかかりたる重きことは、一分の分別にて地盤をすえ、無二無三に踏み破りて、仕てのかねば、埒明かぬものなり。大事の場を人に談合しては、見限らるる事多く、人の有体に云はぬものなり。斯様の時が、我が分別入るものなり。兎角気遣ひと極めて、身を捨つるに片付くれば済むなり。この節、よく仕ようと思へば、はや迷ひが出来て、多分仕損ずるなり。多くは見方の人の此方の為を思ふ人より転ばせられ、引きくさらかさるる事あり。
(現代語訳)
自分の将来にかかわる重大事は、己一人の考えで腹をすえ、しゃにむに踏み込んでやってのけないと、埒が明かない。大事なことを人に相談していては軽く見られることが多い。人はほんとうのことをいってはくれないものである。このような時こそ、自分の考えが必要なのである。とにかく、自分を狂人と決め込んで、捨て身になればそれでよい。
こういう時に、うまくやろうと思えば、とたんに迷いが出て、たいてい失敗するものである。多くの場合、味方の人で、自分のためと思ってくれることが仇となり、ひいきの引き倒しになってしまうものである。自分が出家を願い出た時も同様である。
大事は自分一人で決断せよ、というのである。そうすれば気迫も出てこよう。説得力も出てこよう。それをやたらと相談するから失敗する。しかも、身近な人によって引き倒されてしまうというのである。なかなか現実性に富んだ話である。身近な人間は善意ではあっても、結果的には足を引っ張る作用をすることが多い。それは心配になるからで、自然な感情ともいえる。しかし、事を起こそうという人間は、あらゆるものを乗り越えていかなければならない。そうすれば道は必ず開けるという。リーダーは過ちを恐れてはならない。断固たる行動が新天地を開いてくれる。
さらに深く心の底を探れば、人間の醜い姿が現れる。「味方の人が、かえって仇となり」というところがものすごいところである。人間には嫉妬心というのがいつもついてまわる。仲間内で、一人が抜きん出れば、一人以外は嫉妬する。ジェラシーの炎を燃やすのだ。なぜなら一人に置いてきぼりをくうからである。その他大勢は劣等の烙印を押されるからである。マラソンなんかを見ていればそのことがよくわかる。一人が優秀であれば、その他は劣等ということになる。これが「かえって仇となり」の論理構造である。「預言者ふるさとに入れられず」というのも同じ構造をしている。群れには群れとして、つねに防衛本能がはたらくからである。