エッセイ:白鷺城も富士山も、私たちのよりどころ
姫路駅の北口から、姫路城の大手門に向かって一筋にのびる大手前通り。数年前に家族で姫路を訪れたとき、「この道、日本の道100選に選ばれているらしいよ」と父と母に伝えると、へーっと大いに感心していた。「登山道と同じだね」とも。登山道とは静岡の実家近くを走る、富士山スカイラインの地元での別称。富士山の中腹へと続く道は、すぐそばで暮らす私たちの誇りだった。
日本では、道も城も滝も水も、「3大」とか「100選」とか、数を決めて選るならわしが根付く。そう聞くと、ありがたみがぐっと増すのか。姫路城の美しさは、数宇の冠に頼らずとも誰もが感じ入るだろう。姪っ子は「これまで見たお城の中でも、“本物”という気がする」と、頬を赤らめ雄姿をじっと眺め入る。
そう、姫路城は400年の歴史で一度も戦火に見舞われず、大改修を重ねながら、築城の威容を残す不戦の城。日本に現存する最大の城郭建築で、世界的にも類のない壮烈さ。白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)という方法で外壁を塗り籠め、屋根瓦の継ぎ目にも白漆喰が。天守群は翼を広げた白鷺にたとえられ、「白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)」とも呼ばれる。別名の由来は、城の周りに白鷺が住んでいたからとか、黒い板張りで「烏城」(うじょう・からすじょう)と呼称される岡山城との対比という説もあるが、白というのに深い意味があるらしい。現在の形で姫路城を築いた安土桃山時代の武将・池田輝政は、武による統治ではなく、美による威嚇を重んじた。ゆえに城主としての威厳を示すのに、輝くような白に執心したという。
てんてんと彫刻作品が配される大手前通りの東西の歩道を歩きながら、車道の信号が赤に変わるのを見計らう。横断歩道が青い光に照らされる束の間、小走りに白線を進み、道の真ん中で立ち止まる。1秒、2秒、3秒……。数秒だけ、雅やかな白鷺の城と正面から向かい合う。
「姫路の人は、お城を中心に街のことを話すんです。静岡でいう富士山のようなものですね」
と、私のアシスタントのまきこさんが言った。まきこさんが生まれ育ったのは姫路近く。上京するまで姫路城はいつでも暮らしの中心にあって、お城のあっちとかこっちとか、標だったと教えてくれた。
どの町やどの人にも、まきこさんにとっての姫路城や、私にとっての富士山のように、誇らしくも切なささえ呼び寄せる、よりどころがあるのだろう。山や海や木や、駅や商店や学校や。土地の人の心の支えを感じる旅を続けていきたい。
雪をかぶった冬の富士山も、羽を休める白い鳥を思わせる。姫路城を見上げるうちに、不意に故郷が恋しくなった。