編集作業に尽力いただいた竹内純子さん(国際環境経済研究所理事・主席研究員)が、2月19日付電気新聞の書評欄に、これまでの取り組みを踏まえた澤さんの思いを紹介されているので、電気新聞編集局のご厚意を得てここに転載させていただく。
◆読まざる者、電力を語るべからず
「原子力を殺すのは原子力ムラ自身である」
澤氏が、日本のエネルギー供給の脆弱性を考えれば原子力技術は必要であると主張し続けてきたこと、福島事故の直後からぶれることもひるむことも一切無かったことは、読者の皆様には先刻ご承知であろう。しかし日本の原子力事業は外部環境も内部事情も課題だらけで、戦略なき脱原発への途をひた走っている。澤氏は、我が国において原子力技術を維持するのであれば解決しなければならない課題を一つ一つ取り上げ、現実的な解決策を提言し続けてきた。原子力損害賠償法に始まり、原子力事業の環境・体制整備、核燃料サイクル政策、安全規制のあり方、そして福島復興と、次から次へと新たな課題に挑戦し続けた。無責任な脱原発論や安易な原発回帰論には目もくれず、日本の原子力事業が生き残るための一筋の道に積もったがれきを、一人黙々と片付け続けていたようにも思える。
福島事故から5年が経とうとし、かつ、自らに残された時間がわずかであるのに、一向に事態が進展しない状況にしびれを切らし、先送り体質に蝕まれた関係者一人一人の胸倉をつかんで叱咤したい気持ちだったのではないか。冒頭の強いメッセージはその表れであろう。その強い思いは何のためか。すべては日本国民のためである。
「万が一の場合に、その結果責任を負うことになるのは、国民だ」
こんな言葉を遺し、最期まで公僕たることを貫いた人間がいることを、一人でも多くの国民に知ってもらいたい。電力関係者は当然のことながら、政治家、政府関係者にもこの論稿を読んでいただきたい。これを読まざる者、電力を語るべからずである。
一人黙々と取り組んできただけに、自分がいなくなってその道が閉ざされることになることを強く懸念したのであろう。病室に伺った折やメールで、何度も「後を継いでな」、「頼んだで」と今後を託そうとされた。それは私に預けられた言葉ではあったが、エネルギーに関わる方すべてに向けたメッセージだったのではないか。
病床で強い痛みと戦いながら、自身の構想を口述し、亡くなる2日前にその完成を確認して旅立たれた。まさに最期の力を振り絞って遺した提言である。
(2016年2月19日付 電気新聞 [本棚から一冊])
澤さんは、遺稿の中で、課題がほとんど放置されたまま膠着する原子力について、何にも誰にも一切遠慮することなく、内角高めの剛速球を投げ込んでいる。澤さんが投げたボールに対し、ただそりかえってベンチに引き揚げるのか、真正面から向き合ってバットを振るのかは、後に残された人々次第である。