サッカーとの関わりを模索していたあるとき、「こんなにサッカーが好きなのに、アルバイトをしたことがない!?」ことに気づき、さっそくサッカー関連でバイト先を探したところ、現在、平賀が役員を務めているアドリベラルに出合った。
当時はユニフォームの梱包や単純な事務作業をするアルバイトだったが、勤務態度が見込まれ、正式な社員として勧誘された。卒業後はドイツのケルンに行こうと考えていた平賀だったが、「ショップを増やしたい」という社長の言葉に縁を感じ、卒業と同時に入社を決意。現在に至っている。
アンプティサッカーとの出会い
アドリベラルはタイの工場でユニフォームをオーダーメイドする会社としてスタートした。縫製ミスやプリントミスが出た場合は、現地のろう学校に寄付する活動を行っていた。そうした活動の中から、左手部欠損というハンディを持ちながらも、タイやバングラディシュでプロの選手として活躍する相原豊の存在を知った。
「こんな選手が海外にいたことに驚きましたし、その相原さんがアンプティサッカーを始めたことを聞いて、この競技のことを知りました。そこで初めて障害者サッカーに興味を持ったのです。何か僕にも協力できることはないだろうか? と思っていたところへ、お店に面白い注文が入りました」
それは『アンプティサッカー あきらめない』というプリントのビブスだった。注文主は日本アンプティサッカー協会 普及・教育事業担当 アンバサダーの阿部眞一氏である。
平賀が「関係者の方ですか」と訊ねると、逆に「アンプティサッカーを知っているの?」と返ってきた。ビブスを引き渡す際に「ぜひお会いしたい」と告げると阿部は快く店を訪れた。
ふたりはすぐに意気投合した。阿部は当初、選手としてスカウトしたかったが、平賀が身体障害者手帳の交付を受けていないことを知って、スタッフとして協力してほしいと伝えたところ、「それでもいい。ぜひ、やらせて下さい」と平賀の答えは早かった。
「毎月1回程度ですが、ボール拾いなどをしながら練習に参加するようになると、『出られるんじゃないの?』と選手たちから声を掛けられ、僕自身も、もし出られるとしたら、また両親にサッカーをしているところを見せられますし、娘に父親の障害のことを伝えやすいと思うようになりました。アンプティサッカーと出合って、僕は生まれて初めて自分の障害と真剣に向き合うようになったのです」