人生のターニングポイント
1993年にJリーグが設立され、国内に空前のサッカーブームが巻き起こった。遊び好きだった小学3年生の人生にも大きな影響を及ぼした。これが1つ目のターニングポイントである。
平賀は周囲の仲間たちと地域の少年団に入ってサッカーにのめり込んでいった。平日は毎朝6~7時まで授業の前に練習が行われ、放課後はサッカー好きの仲間が集まり毎日ボールを蹴っているような生活だった。時折寝坊することもあったが、それは小学生らしいご愛嬌で、とにかくサッカーが大好きで辛いと思ったことはなかった。
中学生になると、さらにサッカーの魅力に憑りつかれていった。「僕が育った地域はとてもスポーツが盛んで、中学生になってからは完全にサッカーが生活の中心になっていったのですが、自分の手のことをマイナスに思うこともないままに毎日が過ぎていきました。幸いといえば幸いなんでしょうね。周りの仲間や環境にも恵まれて、一度も面白くない思いをすることなく、サッカー生活を続けていました」
そんな平賀は中学3年生になると海外のチームにも興味を持ち始めた。そこで積極的に海外からの情報を得たいと考え、語学力を高めるために英語科のある高校に進学し、サッカー部に入った。
ポジションは中学時代の後半から、ボランチ(守備と攻撃を繋ぐバランサーとしての役割)を務め、年齢が上がるごとに攻めたい、点を取りたいと、前にいく意識が強くなっていった。
練習を終えて家に帰り着くのは夜の9時という毎日だった。そんなサッカー漬けの生活は充実していたものの、高校生の平賀にとって、サッカーは楽しいだけの部活という範囲には納まらなくなり、「将来的に自分はどのようにサッカーと関わっていけばいいのだろう」と考えるようになったと平賀は振り返る。