ゴールキーパーとしての覚悟
阿部に誘われてから、半年が経過していた。平賀は正式に『FCアウボラーダ川崎』のゴールキーパーとして選手登録をした。ただし、そこには越えなければならない壁があった。
その壁というのは、「攻め」から「守り」のポジション変更によるストレスである。ましてやアンプティサッカーのゴールキーパーは欠損側の腕をまったく使うことができないために、平賀にとっては二重の苦しみに感じられた。
「ルールを知った上で始めたとはいえ、僕はそれまで不自由を感じることなく過ごしてきたので、片手が使えないゴールキーパーというのは、何か大きな制約を受けているようで最初の半年間くらいは面白さがわからず、まったく楽しめませんでした。アンプティサッカーのゴールキーパーは、サッカーじゃないとまで感じていたので、それを乗り越えるにはかなりの『覚悟』を必要としました」
評価を受けるも出場できなかったW杯
心の壁を乗り越えた平賀は、積極的にチームに関わりゴールキーパーとして大きな可能性を示した。アンバサダーの阿部は、「可動範囲を最大限に活用したリベロ的なゴールキーパー」と平賀を評している。
ゴールキーパーの役割として後方から状況を見極め、攻守の両面において指示や情報等を伝えることが求められるが、平賀の場合はそうした「声」に留まらず、いったんボールを戻させ、そこから攻撃を再構築するシーンが多いと阿部は言う。その意図を平賀はこう話す。
「アンプティサッカーは少し気を抜くとスピード感がなくなってしまう競技です。国内のレベルをあげるためには、もっと緩急をつけなければなりません。それには両足が使えるキーパーを戦術のひとつとして活用することにあると思っています。そこにこの競技のスピードアップの要素があると考えていますので、キーパーからフィード(前方へパスを送ること)して攻撃に結びつけるようなチーム作りを目指しているのです」
平賀のような攻撃的な性格の選手は、ゴールキーパーにおいても積極的に「攻める」役割を考えるようだ。こうした考えを持った平賀の活躍が認められ、2014年ワールドカップメキシコ大会では日本代表に選出された。それも副キャプテンを任されたのである。
しかし、公式戦での出場機会はなく、平賀が出場できたのは公式戦後の親善試合のみだった。それが本稿冒頭の「悔しい思いのほうが勝っていました」に繋がっていく。
「僕は副キャプテンでありながら、大会期間中は自分の立場がとても難しく、練習中や試合前に選手にどう声を掛けたらいいのかわからなくて、逆に選手たちに支えてもらっていたような感覚でした」