ディオスコリデスの時代はもとより、パラケルススや貝原益軒の時代と比べても、現代はきわめて多種類かつ大量の毒や薬が身の回りにあふれている。インターネットでも、新たな毒や薬が容易に手に入る。そんな時代にあって、毒や薬といかにうまく付き合うかは、だれにとっても大きな課題といえよう。
日本薬科大学教授(漢方薬学科天然物化学分野)である著者は、そうした問題意識から、「さまざまな毒や薬がどのようにして人類の歴史に登場し、人類と歩みをともにするようになったか」を、年代順に概観する。
古代、中世、近世、近代、現代と五つの章に分けて、日本、東洋、西洋の毒と薬をめぐる逸話が、具体的かつコンパクトに語られる。しかも、化学、薬学の知識にしっかり裏打ちされた平易な表現で、しろうとにもわかりやすい。
毒と薬は一面からでは計れない
ソクラテスの飲まされたドクニンジンに始まって、『竹取物語』と不老不死の薬、中世の魔女と毒草、茶とコーヒーとココア、疫病と毒と薬、北里柴三郎や高峰譲吉、鈴木梅太郎の逸話、公害と薬害、スポーツとドーピングなど、どの話題をとっても興味深い。
ノーベル賞を受賞した北里研究所の元所長、大村智さんの名も、抗生物質の項に出てくる。
<毒というと何やら私たちに不利益なだけの存在と思われがちであるが、毒は必ずしも害をもたらすばかりではない。大いに恩恵を与える場合もある。(中略)これらの殺虫剤や農薬という名の毒が存在しなければ、今日、地球上にこれだけたくさんの人間が生きていくことはおそらく不可能であろう。一方、私たちが薬と呼んでいるもののなかには、もともとは毒として名を馳せたものも多い。たとえば、近代医薬品として重要な筋弛緩薬のデカメトニウムは南米の植物由来の矢毒をヒントにして開発されたものである。>
こう語るように、毒と薬には両面性があって、その一面からだけ見ることは無意味である、と著者は言い切る。