「それから新しい流れが生まれたんです。ここをもうちょっと細くできないかなと言うと、やってみるとか、たぶんできるという答えが返ってくるようになりました。私ひとりなら力尽きて諦めたかもしれないけど、その人が一緒に走ってくれたから会社が変われたのだと思う。それまでは5時になると真っ暗になっていた開発室が、7時になっても電気が消えない。新しいもの、まだどこにもないものを作ることの面白さを見つけてくれたんですよね」
ものを作る喜びを育ててこそ、ものづくり日本と胸を張れる。最新の機械ではできなかったことが、古い機械だと可能になるケースもあり、できない理由を挙げるのではなくどうしたらできるかを考えると、これまで不可能と思われてきた面白い糸が生まれた。しかし、それが直ちに業績アップに結びついたわけではなかった。
「変わった糸、面白い糸を納めても返品されてくるんです。機械で編めない。トラブルが起きる。糸が切れる。つくづくこの国は機械が主役なんだと思いました。どんなにいいものを作っても、機械に合わなければ不良品扱いになっちゃう。機械に合わせたものづくりって、何なんですかね」
国内で評価されないなら、いっそ海外で勝負してみよう。2005年に社長に就任した佐藤は、07年、フィレンツェで行われた国際的な繊維と生地の見本市への出展に踏み切った。
「出展最初の年、与えられたスペースが地下の端っこで、だれも来ないような場所でね。へえ日本でも糸作ってるの、って反応だし」
そこで佐藤は、スペースの照明をすべて消し、小さなスポットライトだけにして、真っ暗な中に何かがボワッと浮き上がるようなしつらえにした。同行の社員は「社長、これじゃ製品の編み目がよく見えません」とびっくり。佐藤にしてみれば、編み目が見えるかどうかの戦いの前に、この地下の隅っこにどうやったら人を呼べるかという戦いだったのだ。
何だか薄暗いスペースがあると気になって見に来る人もいる。やっと1人がやってきた。暗がりの中で細いモヘア糸を見ていたのはニット界では有名なバイヤーで、その口コミで人が集まってきた。
「名刺を見たら、グッチとかサンローランとか書いてあって。LVって、え、あのルイ・ヴィトン? って。信じられなかった」
その年は商談はできなかったが、資料やサンプルを求められ、翌年出展した時には世界の一流ブランドがこぞって佐藤繊維の糸を求めた。その中でニナ・リッチに納品した糸が、ミシェル夫人のカーディガンになったというわけだ。