1985年、アカデミー協会のブランチ(17ブランチがある)の一つである監督組合のメンバーをめぐってちょっとした問題が露見した。監督組合のメンバー230人のうち78%が55歳以上(うち70%が60歳以上)約45%の人はこの10年間に監督として仕事をしていない。20%の人が最近の20年間に1本の映画も作っていない。さらに驚くことに20%が40歳以下。うち30歳以下の監督がたったの5人だったことも判明した。
こんな新進気鋭の若者が少ない老人ばかりが力を持つ監督組合が、最近突出して人気が出てハリウッドを元気づけ、世界中でヒット作品を送り出している若い監督スティーブン・スピルバーグの本当の凄さを評価することができるはずがない。彼の計り知れないパワーを理解できるはずがない。
今度こそスピルバーグがオスカーを絶対に手にすると何回もそして誰もがそう思っていたのだがスピルバーグがやっとオスカーを手にしたのは1993年の「シンドラーのリスト」だった。スピルバーグはこれでもかこれでも駄目かと何回もアカデミー賞に挑戦する。一時はもうオスカーは僕には微笑んでくれないのかと諦めたこともあった。これが所謂アカデミー賞の七不思議のひとつなのだ。いい作品を作ったからOKというわけにはいかない。本当にラッキー・チャンスがあってオスカーを手にすることができるのがアカデミー賞なのだとフランク・キャプラは語る。グレタ・ガルボは何回もこのことで涙を流す運命にあった。
ついにアカデミー賞誕生
さて話は戻ってやっぱりその歴史を語るためにはアカデミー賞授賞式の第1回の様子を語っておく必要があるだろう。
「映画芸術科学アカデミー」とは誠にいい名前を考えだしたものだ。今から遡ること89年前の1927年の5月11日に非営利組織として36人の会員により設立されている。設立の親分がMGMのルイス・B・メイヤーで映画監督、脚本家、俳優、プロデューサー、映画会社の社長や地元ハリウッドの興行主など36人が集まって創立されている。
そしてアカデミー協会の主な事業となる記念すべきアカデミー賞第1回の授賞式が1929年5月16日、ハリウッド大通りのど真ん中に建つルーズベル・トホテルで挙行されることになる。思えばサイレント映画の絶頂期を終えてトーキー映画に生まれ変わろうとするという大きな変革の時期、さらに映画の内容がより充実しハリウッド映画が世界でも光り輝き大きく発展するように祈る気持ちがいっぱいで誕生したのがアカデミー賞だった。
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