黒い帽子を被って温泉街を歩く田口さんは有名人だ。温泉旅館の若手経営者たちともすっかり顔見知りである。実は、それも「おせっかい」を続けてきた結果なのだ。
2013年は志賀直哉が初めて城崎温泉を訪れた大正2年(1913年)からちょうど100周年の記念の年だった。若手の経営者で作る城崎温泉旅館経営研究会、通称2世会では「文学のまち 城崎温泉」を、もう一度発信したいと考えていた。
とはいえ、どうやったら良いか皆目わからない。そんな時、田口さんが「ちょっとおせっかいしてあげようか」と言って紹介したのが、ブックディレクターの幅允孝さん。人と人の連鎖によって、一気に「本と温泉」プロジェクトが進むことになった。
小説家の万城目学さんが城崎に滞在し、志賀直哉の足跡を追体験した新作小説『城崎裁判』を書き下ろした。ブックカバーがタオル地で濡れても大丈夫な紙に印刷した「本」ができたのは14年秋だった。
ユニークなのは城崎でしか買えないこと。「地産地消ならぬ地産地読です」と、プロジェクトのために立ち上げたNPO「本と温泉」の理事長、大将伸介さんは笑う。大将さんも錦水という温泉旅館の経営者だ。
城崎でしか買えない小説は評判を呼び、約4000部を売った。次作は湊かなえさんが『城崎にかえる』という小説を書くことが決まっている。ネットショッピングが急拡大している中で、そこに行かなければ読めないという逆転の発想。結果、城崎を訪れる人が増え、土産物屋が潤うこととなった。
志賀直哉が定宿にしていた三木屋の10代目当主である片岡大介さんは田口さんとの出会いが忘れられない。いきなり「三木屋は俺の名前使ってるよね、俺、幹也だから」と言われたというのだ。一気に2人の距離感が縮まったと、片岡さんは振り返る。そんな人と人を結びつける不思議な魅力を田口さんは持っている。
田口さんに招かれて城崎を訪れた芸術家や小説家は一様に情緒あふれる町にほれ込んでいく。そうして集まった人と人が不思議な化学反応を起こし、城崎温泉に新しい魅力が付け加わろうとしている。その化学反応が起きたのは、田口さんという「触媒」がこの町にやってきたからに他ならない。
(写真・生津勝隆 Masataka Namazu)
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