おせっかいで始めた町おこし
田口幹也さん(46)。豊岡市日高町生まれで、大学卒業後、東京でカフェや新聞の立ち上げなど様々な事業に携わった。企画から広報活動、営業まで多彩な才能を持つ自由人だ。東京・池ノ上で編集者や芸術家などが集まるバーを経営していたが、東日本大震災を機に、漫画家の妻と娘と一緒に、郷里にUターンした。
「たくさんの友だちが城崎にやって来ると、すごく良い町だと驚くわけです。関西圏から1泊2日でカニを食べに来る温泉町というイメージばかりが先行し、東京での知名度は有馬温泉に負けていた。PRのやりがいがあるな、と思ったのです」
豊岡市に戻った田口さんは、肩書きに「おせっかい。」と書いた名刺を持ち歩いていた。頼まれなくても地域のためになることをやる意気込みだった。そんな時、豊岡市大交流課の谷口雄彦さんを通じての真野毅副市長に出会い、町おこしを手伝うようになった。真野氏自身、京セラからクアルコム・ジャパンの社長を経て、公募で副市長に選ばれた異色の経歴の持ち主だった。
そんな中で、KIACの運営体制の見直し議論が持ち上がる。田口さんの運命を決めたのは、KIACのアドバイザーだった劇作家の平田オリザさんのひと言だった。
「田口君がKIACの館長を引き受けるなら、私が芸術監督をやる」
芸術家の嗅覚が、田口さんの「面白さ」をかぎ分けたのだろう。とはいえ、館長職はれっきとした市の職員のポストである。
「一介のおせっかいが、いきなり館長ですから、びっくりです」と田口さんは中貝市長の決断に舌を巻く。このあたりが普通の市町村ではできないところだろう。田口さんは初めから海外のアーティストを意識したパンフレットを制作、芸術家が集まる国際イベントなどでPRした。東京時代の友人たちのネットワークがフル稼働したのは言うまでもない。
そんなKIACは城崎のムードを一変させつつある。
「都会にないものがいっぱいある城崎ですが、文化的な催しが少なく、正直言って飢えていました」と、温泉街で写真スタジオを営む井垣真紀さんは言う。10年前に結婚して城崎に来るまで大阪でフリーアナウンサーとして活躍、会社も経営していた。井垣さんのようなKIACファンがジワジワと地元に増え始めている。
もっとも田口さんは、館長とはいっても館内だけに留まっているつもりは毛頭ない。KIACを拠点に様々な仕掛けを行い城崎全体、豊岡市全体を盛り立てようと考えている。