翌日は普通列車で那智に向かう。一時間ほどあるので近くを散策。写真を撮りながら歩いていると、中上健次の生誕の地に行き当たった。JRの線路と踏切のすぐ脇で、いまはコンクリートの公営住宅になっている。『岬』や『枯木灘』、『千年の愉楽』など彼の代表作は、ほとんど地元・新宮を舞台にしている。『鳳仙花』という作品集には、旧国鉄の操車場なども出てくる。まさにこのあたりを、幼い中上少年は遊びまわっていたのだろう。昭和の面影が残る路地を歩いていると、いまもオリュウノオバが暮しているような気がしてくる。
那智山へは駅からバスで向かう。途中、山肌が深くえぐられた箇所を何度も目にする。数年前の水害の傷跡だ。あちこちで修復工事がつづけられているが、完全な復旧にはまだ時間がかかりそうだ。まして美しい山々が、かつての姿を取り戻すには、何代にもわたる長い時間を要するだろう。那智大社から青岸渡寺、三重の塔に那智の滝と、一通りお参りする。バスの時間まで、数軒の土産物屋を覗いてみるが、置いてあるものはどこも同じ。黒飴と那智石ばかりじゃあ、何か買おうという気になれない。せっかく来たのに、残念である。
那智駅に逆戻り
バスは那智駅を経由して紀伊勝浦まで行く。せっかくだから終点まで乗って、勝浦からJRきのくに線でのんびり白浜まで行けばいいや、と道の駅で買ったポンカンなどを食べながら、二人とも大事な荷物を那智駅のコインロッカーに預けていることを、すっかり忘れていた。
「あっ!」
「ん? ……あっ!」
温暖な南紀の風土がそうさせるのか、絵に描いたような間抜けぶり、フーテンの寅さんに「あいかわらず馬鹿か?」と言われても、黙ってうなだれるしかない。とりあえず昼食を済ませてから引き返すことに。ところで紀伊勝浦の駅前は、どの店も、どの店も、マグロ丼だった。別にマグロが嫌いというわけではないのだが、そのときはなぜかぼくも小平さんも、マグロ丼以外のものを食べたい気分だった。八百屋のおばさんが「おいしい」というラーメン屋は、昼休みで閉まっていた。
「美味そうだったね」
「食べられないとなると、余計に未練が募りますね」
「どうしようか」
「おバカが二人、マグロ丼を喰ってもねえ」
結局、呑気なおバカ二人組は、マグロ丼屋さんで親子丼を食べることにした。ところで、その日は三月十一日、親子丼を食べている最中に、震災が起こった午後二時四十六分を迎えた。突然、鳴り渡るサイレン。通りを行く人の多くは、立ち止まって黙祷をしている。ぼくはうつむいたまま、親子丼を食べつづけた。