いい気分で写真を撮ったりしていると、宿を世話してもらった方から、耳寄りな情報が。
近郊の救馬渓観音において、十二年にたった一日だけ、快慶の作と伝えられる御本尊の馬頭観音像が御開帳になる。たまたま今日が、その秘仏御本尊御開帳の日にあたるというのだ。なんという偶然。なにしろ十二年に一日である。こうなってくると、神の御加護も怖いくらいだ。知人の方のご厚意に甘え、さっそく車で救馬渓観音へ向かう。時間にして三十分くらい。御本尊が安置された本殿は、ビルの五階くらいのところにあり、そこまでかなりの段数の階段を上がらなければならない。参詣者のなかにお歳を召した方も目立つけれど、みんな黙々と登っておられる。
ビルの屋上のような境内で、さらに三十分ほど列に並ぶ。こうした礼拝は、一日に何回か、時間を区切っておこなわれる。ぼくたちは十時三十分からの御開帳に間に合った。快慶作というから、千三百年ほど前のものだろう。思ったよりも小さな観音像である。ありがたくお参りして、記念に小さなお守りをいただく。裏面に「平成二十六年三月十二日御本尊御開帳救馬渓観音」と印が押してある。つぎの御開帳は十二年後、ぼくは六十七歳か……。
そのまま車で和歌山市まで送ってもらい、昼は和歌山ラーメン。ここでは「中華そば」という呼び方が一般的だ。豚骨で出汁をとって醤油で味をつける。普段、ぼくが食べている博多ラーメン(長浜ラーメン)も豚骨スープなので、まったく違和感がない。各テーブルには細長いサバ寿司がピラミッド状に積み上げてある。これを勝手に取って食べるのが、ご当地の流儀。ここでも郷に入りては郷に従えで、さっそくやってみる。さっぱりしたお寿司は、ラーメンの濃厚なスープによくあう。でも、糖質の取り過ぎがちょっと心配です。
あいかわらず暖かな日和、ぼくたちは市内を適当に散策し、最後に和歌山城の天守閣に登る。ここからは四方に和歌山市を望むことができる。中国人のお客さんが多いので、ニーハオ! 国際交流を果たしたあとは、和歌山駅から紀州路快速で大阪へ。改札を出たところで、近くにいた若い人にツーショットの写真を撮ってもらう。小平さんは夕方から大阪在住の仲間と打ち合わせ、ぼくはそのまま福岡へ帰るので、ここでお別れだ。
「また近いうちに」
「うん、ぜひやりたいね」
「つぎの企画を考えましょう」
「じゃあ、気を付けて」
強くなる排他的感情
小平さんの笑顔に見送られ、ぼくは再び改札をくぐって新大阪へ向かった。新幹線のなかで、あらためて今回の旅を振り返った。
多くの人が指摘するように、現在の日本社会は新自由主義的なマインドが浸透し、誰もが自分の利害だけを考えて生きる傾向が強くなっている。つまり個人が切り離されてアトム化し、ぼくたちは過剰に自己に閉じこもろうとする一方で、他者の気持ちを想像したり、思いやったり、共感したりすることが苦手になっている。同じ日本人はどうしても、排他的な感情が強くなっている。小保方晴子さんへのバッシングなどにも見られるように、弱い者がさらに弱い者をいじめるという構図が蔓延化している。
とりあえず神様からはじめてみてはどうだろう。同じ神様に祈り、同じ無意識でつながる。日本の神様は、かならず自然とつながっている。神様に祈ることは、自然に祈ることでもある。そのことはアトム化された自己を開くことでもあり、ぼくたちの心と身体にいい作用をもたらす気がする。
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