「国宝 阿修羅展」というシンプルなネーミングにしたのも、興福寺の宝物であるすばらしい天平彫刻を、仏像の“代表選手”である阿修羅像にシンボライズし、何が見られる展覧会なのかを、わかりやすく伝えたかったからだという。
多くの人を呼んだばかりでなく美しさに泣き出す老人もあったこの展覧会は、天平時代につくられた仏像の崇高性を見事に再現したのである。
阿修羅ブームの下地
実は、興福寺・阿修羅像は今年になってブレイクした遅咲きアイドルではない。
入江泰吉、白洲正子、向田邦子ら昭和の名だたる文化人がその美を賞賛していることは知られている。つまり、阿修羅ファンは昔から存在し、ブームの下地はすでにあったということだ。
『阿修羅のジュエリー』(理論社)の著書もある装飾文化研究者の鶴岡真弓氏は、なぜ人が仏像、とくに阿修羅に憧れるのかをその見た目からこう分析する。
「今回のブームには、仏像そのものの異形性や超越性の面白さが受け入れられたという面もあるでしょう。それから、社会として「心」を大切にする時代を取り戻したいという気持ちが表れたとも考えられます。
装飾文化の観点から言えば、現代人にとって「光」とは、自然からのもの(つまり太陽の光)であれ人工の光であれ それらは「物理的」な光であるとしか見ていません。しかしついこの間までの人間社会では 戦争や疫病などで 人々が苦しめられたくさんのいのちを落としてきました。その時代には、「光」とは、祈りや、希望を、意味していた。祈りや希望や生命の、たしかな象徴でした。
仏像が身に着けている宝飾とは、贅沢品ではなく、そうした「祈りや希望や生命としての光」をデザインしたものです。仏像が、阿修羅が、ジュエリーを身につけているのは人びとに、まことの光をもたらしたいと願うからです。だから宗教美術には、かならずステンドグラスでもキャンドルでも灯明でも「光」がそこに表現されねばならない。阿修羅のジュエリーは、その代表的な傑作といえます。」
もともと、戦いの神(悪神)であった阿修羅は、帝釈天との戦いに敗れ、釈尊の話を聞いて戦うことの虚しさを学ぶ。つまり阿修羅は己を省みて善神へと変わった神である。悪いと思えば悔いて考えを改め、光をまとう神へと昇華した。そんな物語も、あこがれと親しみを抱かせる。
仏像ブームが語ること
前述の金子氏(東博)は言う。「ネット社会と言われる現代は、たくさんの情報があふれていますが、実は本当の情報がどこにあるのか、真実は何なのかがとてもわかりにくい。実在性が薄いから、心は不安でざわざわする。つまり、“虚”が広がる時代です。そんな時代に、自分の足で、自分の目で何かを見るということは貴重な体験なのです。展覧会に行けば、1300年の歴史を背負った阿修羅像がすっくと立っている。そういう“実”があるということは、鑑賞者にとって大きな安心感になりますね。