そのそばに軍師として、官庁エコノミストの下村治博士がいた。ケインズ経済学の基本である「有効需要」理論の応用を考えます。敗戦後の日本の現状では、政府が有効需要をつくっても「有効産出」がついてこない。まず「有効生産力」を育成しなければ。そこで、大きな政府が産業政策で誘導して企業に競争させるという成長戦略を考えた。『経済変動の乗数分析効果』(1952)を著します。秋山真之がマハンの『海上権力論』を明治日本の現状に応用したのと同工異曲でした。
大戦略が正しく定まっていたおかげで、昭和の企業参謀たちは後顧の憂いなく安心して、それぞれの事業分野戦線での戦略・戦術作戦に没頭できました。ところが、そのあとがいけない。
1979年、イギリスはケインズ流の行き過ぎで「英国病」に悩んでいた。内服薬ていどの手直しではとうてい治癒しない。サッチャー首相が思い切った外科手術を施します。「新自由主義革命」のメスを渡したのは軍師ハイエクでした。トリレンマに悩むアメリカのレーガン大統領が「新市場主義革命」でつづきます。その軍師はフリードマンでした。
1983年から、日本でも中曽根首相が「戦後政治の総決算」をスローガンに「行政改革」と「民活」に取り組みます。だが、中途半端に終わってしまった。なぜでしょう。この昭和の企業参謀が考えるに、良き軍師がいなかったからです。じつはひとり、ハイエクにもフリードマンにも負けない日本人学者がいた。村上泰亮教授です。平成元(1989)年になって、村上教授は同僚の教授・佐藤誠四郎と西部邁を誘い、リクルート事件の渦中にあった中曽根元首相を招いて『共同研究「冷戦後」』を出版される。だが、時すでに遅かった。
元海軍主計士官の中曽根首相はネルソン的でした。司令官と参謀を兼務できると、自信過剰でつまずいてしまった。サッチャー・レーガン革命の思想的根拠を理解していなかった。そのあと、村上教授は『反古典の政治経済学』(1992)を著して、ハイエク+フリードマンの「単相的新自由主義」を批判します。平成日本への応用理論として「多相的新自由主義」を主唱された。残念なことに、1993年7月1日に肝臓ガンで逝去されます。『反古典の政治経済学要項―来世紀のための覚書』(没後1994)を執筆中であったため、あえて手術ではなく投薬治療を選ばれた。戦死のごとき壮烈なご逝去でした。
その後のイギリスでは、サッチャー革命の行き過ぎへの反省から、労働党のブレアーが新福祉主義の旗印をかかげて政権を奪取します。そのそばにも軍師がいた。アンソニー・ギデンズ教授です。『第三の道』(1998)を著して、ブレアー首相に思想的根拠を与えた。ところが、平成の企業参謀のなかでは、ギデンズはあまり読まれなかったようです。
この11月27日に出版されたばかりのまだほやほやの新著に『日本の新たな「第三の道」』があります。ギデンズと上智大学の渡辺聰子教授の共著です。時宜を得た提言ですが、日本への応用理論としては、まだもの足りない。引用文献のなかに中根千枝教授の『タテ社会の人間関係』(1967)はありますが、村上教授の『文明としてのイエ社会』(1979)も『新中間大衆の時代』(1984)も見あたりません。
結論を急ぎます。大戦略が不在の時代にあって、いかに経営環境を予測するか。社長は企業参謀に、あり得べき日本国の大戦略を想定するよう求めるしかない。大戦略の策定をおおせつかった企業参謀は、どう考えればいいか。
ヒントをさしあげます。 秋山真之は「大戦略」のうえにさらに「天佑神助」を考え、研究をつづけている途中で急逝しました。満49歳11カ月の短い一生でした。せめてあと5年の寿命が与えられていたら、かならずや「日本文明」の本質に迫っていたにちがいありません。
21世紀の大戦略のキーワードは「文明」となるでしょう。村上教授の没後に、その著作を集めて『文明の多系史観』(1998)が刊行されています。 文明参謀を兼務せざるをえない平成の企業参謀にとって必読の書です。
終わりに『天剣漫録』結びのことばを引きましょう。
観ジ来レバ、吾人ハ緊褌一番セザルベカラズ。(天剣漫録 第30)
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