この熱き人々

2016年6月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

日本発の短編映画祭を開催

 俳優が映画館を作るというありえない道に別所を押し出したのは、1999年に日本で初めて開催され、しっかりと定着した国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」なのだろう。この映画祭を生み出したのも別所自身である。主宰者にして代表も務め、ここでも自ら運営に当たっている。

「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2015」の授賞式

 「1997年に短編映画の面白さに取りつかれて、上映会をやろうと考えたんですが、どこの映画館もラインアップが決まっていてダメだし、短編なんかと頭ごなしで入り込む余地がない。それならポケットマネーでイベントとして映画祭をやろうかと思って、2年かけて準備して、99年に原宿での映画祭が実現したんです」

 こんなことができたらとアイデアを出したり、応援団として名前だけ連ねるのはよくある話だが、別所の場合、すべて自分で動くのである。動くとハードルが次々現れ、提出書類の山が築かれる。身をもってぶち当たり、突き抜けていくのは容易なことではない。しかも俳優としての仕事を続けながらである。

 「それまで演じることだけに専念していた役者ですからね。場所はどうする? 税関を通すにはどうするの? 字幕は? 法人格でないと外国からのフィルムの調達交渉ができないと知って会社を作ったり。東京都や保健所への申請、会場のある渋谷区の区長や原宿駅長への挨拶、商店街の人たちへの挨拶、ミーティングのセットアップとか、すべてがそれまでの人生では無縁だったことなので、本当に勉強になりました。もう全部が全力疾走。無事に終わった後、精も魂も尽き果てて、3日ほど寝込みました」

 疲れ果てたはずの別所に、2回目、3回目と映画祭を続けさせる原動力を与えたのは、短編映画を初めて見たという人からの声や、来年もまたやってほしいという要望だった。涙が出るほどうれしかったという。

 「自分が面白いと思ったことを人も面白いと思ってくれたとわかった瞬間の喜びって忘れられない。で、またやりたくなるんですね」

 今年で18回目を迎える「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、米国アカデミー賞公認の映画祭に認定され、グランプリ作品は米国アカデミー賞短編部門のノミネート選考作品になる。いまでは、苦しんで産み育てた子どもが18歳を迎えた親の心境だという。

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