2024年12月11日(水)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年5月29日

[ベトナム・カンボジア・ラオス・タイ]
(2014.10.25-12.29 65days 総費用18万円)

謎の東洋系美魔女の正体は

市民公園の噴水

 12月13日 朝の散歩と朝食を終えてホステルに戻るとロビーのテーブルに東洋系美女が座っているのが目に入った。しかも彼女はこちらを見て挑発するように艶然と微笑んだ。挑発行為を放置して静観するのは“逃げる”と同義だ。“緊急出動”、スクランブル発進。彼女に近づきながら「ニーハオ」と挨拶。

 黒っぽいノースリーブのワンピースにサンダル。全身きれいに日焼けしている。いかにもリゾートで遊んでいる中国美女の典型。年齢的にはアラサーか。身長165センチくらいのスレンダー美女である。香港映画に出てくるような妖艶な雰囲気である。

 私が日本人であると告げると安心したように会話が弾む。基本的には大陸出身の人間は同じ大陸出身の人間を警戒する傾向がある。共産党支配から抜け出して海外で自由に人生を享受している中国人は大陸出身の中国人がアプローチしてくると中国官憲の手先ではないかと疑うのである。そのような事情があり私は中国人と話すときには中国語で話すが相手の警戒心を解くために最初に日本人であると宣言するようにしている。

 彼女はシンガポール(新加波)在住、杭州出身の中国人だった。一人で自由にタイ・ラオス・カンボジアの旅行を楽しんでいると優雅な北京官話(標準中国語)で物語る。メコン川をスローボートで下ってきてルアンバパンでは浮き輪にぶら下がってフランスの学生たちと一緒に数キロメートルを泳いで川下りしたと楽しそうに語った。欧米の学生と一緒にチャラチャラと遊ぶことが似合いそうな外見である。

父親は技術エリートの共産党員

 彼女は天津生まれで父親は共産党員の技術者でソ連や東ドイツに頻繁に出張していたという。ところが毛沢東の文化大革命で父親は“反動的知識人”として紅衛兵に批判され彼女も子供のころ農村に移住(下放:シャーファン)させられた経験があるという。その後父親が復権して一家は父親の出身地の杭州に戻り彼女も杭州で育った。

 彼女の体験談は生きた中国現代史であり興味深く拝聴。私が中国に初めて出張した1980年代の初めころは中国の海外貿易取引は北京中央で一元管理されており私が担当していた石油化学関連の対外交渉は石油化学進出口総公司(石油化学輸出入本社)の談判楼という建物で行われていた。その席上では先方は10人くらい出席するがトップの数人以外は身分が不明であり党の政治局の監視員が数人混じっていた。その交渉団トップの40台半ばの色白の眼鏡をかけた代表が湖北省で漁師をしていましたと文革中に農村に下放された体験を宴席で披露していた。


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