この熱き人々

2016年6月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 99年当時、別所は34歳。若さとエネルギーにあふれた30代とはいえ、その奮闘ぶりには鬼気迫るものが感じられる。そもそもなぜ短編映画が、別所に次々と険しい道を歩かせることになったのか。もう少し時間を巻き戻さないと、ほとばしる情熱の根源が見えてこない。

 俳優としてデビューして3年後の90年には「クライシス2050」というハリウッド映画にも出演して順風満帆。仕事に追われながら20代から30代に入り、仕事のことしか話すことがなくなっていることに気づいた。そんな自分に疑問を感じ、3ヵ月の休みを取って、以前撮影のために1年半過ごしたアメリカに渡った。自分を一度リセットして、演劇の原点に立ち戻るため。その滞在中に、かつての仕事仲間から短編映画を見に行こうと誘われて、断れずにいやいや10本の短編を見ることになったのだという。

 「衝撃的な出会いでしたねえ。行く前には、つまらないに決まってるという先入観バリバリで完全に後ろ向きでしたから。それがもうめちゃくちゃ面白かったんです。10分足らずの映画に、泣いたり笑ったり考え込んだり。映画って長さじゃないんだって気づいたというか、実際に流れている時間軸とスクリーンに流れる時間軸の違いというか。5分がかくも壮大な5分になりうる感覚というか」

 入る時と出る時で、つまらないと思い込んでいた短編の位相が自分の中ですっかり変わってしまったようだ。

 「映画ってなんでみんな同じような長さなんだろう。いつのまにか自分もそれが当たり前だと思っていたけど、その時にふと疑問に感じた。音楽だって長い交響曲もあれば3分で人の心を打つ美しい小品もある。文章の世界でもエッセイやコラムや長編大作などそれぞれの個性があって多様なのだから、映画だってもっと自由に表現していいはず。映画館の興行の回転効率のためにいつの間にか収まりのいい尺になっていったのなら、それってやっぱりおかしいんじゃないかって感じました」

 短編映画の自由な表現、まだ磨かれていないけれど輝きの断片を見せる原石の自己主張の数々から感じる面白さと、いつのまにか思い込みと当たり前の世界に安住していた自分を発見したことの衝撃。きっと2つのショックが別所を襲ったのだろう。

 このエピソードは、その後の別所の常識や、普通なら避ける危険に敢然と向かっていく姿に重なってくるようで興味深い。映画祭や映画館の創設や運営手腕から、つい実務能力の高さやベンチャー的な感覚の鋭さなどに感嘆してしまうのだが、別所をそういうふうに受け止めること自体が思い込みだったのかと揺らいでくる。すべては別所哲也というひとりの人間の中にあふれる感性の表現方法のひとつなのかもしれない、そんな気がしてくる。

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