タリム(盆地)の石油は幸福の花を盛んに咲かせ、
高らかに鳴る(仏教音楽の)管楽の音はヒマラヤに響き渡る。
中山世土の積怨は琉球海溝を埋め、
日月潭の微笑は太平洋の麗しき花となる。
「中国共産党こそ新疆やチベットで善政を敷いている。諸悪の根源はダライやラビア=カーディルといった分裂主義分子だ」という思い込みは当然のこととして、沖縄=琉球(中山世土とは、康煕帝が琉球国王に贈り、首里城正殿に掲げられている扁額の文句であり、清の認証を受けた中山王(尚氏)が世々琉球を治める、という意味である)も、「1870年代に日本に奪われて以来塗炭の苦しみを味わっている存在」として失地回復の対象とされている。このような立場から見て、尖閣諸島問題や東シナ海大陸棚の問題は、「琉球光復」という遠大な目標の単なる橋頭堡に過ぎない。日月潭とは台湾中部の風光明媚で知られる人造湖であり、「台湾は中国の一部分」という中国の立場を示している。
そのうえで、詩は「中華に反する者を立ち直る余地なきほどに踏みつけてやろうではないか!」「継ぎ接ぎだらけの大船に斬新な帆を掲げ、風に乗って浪を破り、意気を発せよ! 2009年、中国頑張れ!」と叫んで締めくくられる。
YouTubeに残された反応は見事に割れた。勿論、矛先を向けられた台湾人は「このような『祖国』に憧れる台湾人は誰もいない」と露骨な嫌悪感を示したし、簡体字で記された中国国内からの反応の中にも「そのような時代遅れな帝国主義まがいの発想には吐き気がする」といったものがないわけではない。しかし、おおかた6~7割の発想は全く異なり、「中国には今までこのような民族主義が足りなさすぎるからこそ弱体で混沌としている。全面的に支持する!」「自分の子供も是非この教師の下で学ばせたい!」という反応が殺到した。
このような動画が当たり前のように熱狂的支持を得ている中国の現実を、我々外国の人間はどのように見るべきなのだろうか?
決まり文句となった「中国の台頭」
「台頭する中国」というフレーズが、昨今の世界情勢を語る上での決まり文句となっているほど、北京五輪、世界金融危機克服という大舞台を経た中国への注目は高まりつつあるように見える。しかし、当の中国の人々は、果たして我々が期待するような、積極的に世界に貢献するような台頭を本当に脳裏に描いているのだろうか。新年早々、暗い話ではじめるのは恐縮だが、少なくとも「2009 中国加油」を見る限り、それは単に「台頭」という言葉では済まされない、隣国にとって安穏とすべからざるものがある。彼らは、極めて急速な台頭を通じて超大国の座を手にしつつあるものの、国内に山積する解きがたい諸問題と諸外国からの厳しい視線に取り囲まれているため、なおさらナショナリズムの炎をたぎらせ世界を圧倒しなければならないという意識に染まっている。
中国は人口13億の巨大国家であるので、中には決してそのような物騒な発想ではなく、全球化=グローバリズムの時代における最も重要な価値は、多様性と相互尊重を踏まえた健全な競争と共存である、と考える人々も多い。胡錦濤政権自身が掲げるスローガンも「和諧(調和)」である。胡錦濤国家主席や温家宝首相が繰り返し説明するところによると、中国政治の最大の目標とは、格差が大きすぎる社会全体に安定と「小康」(衣食住に問題なく、まずまずな幸福を感じられる生活水準) をもたらすことである以上、中国はあくまで発展途上国であり、他国を圧倒したり軋轢を起こす余裕などないのだという。