海の人々、山の人々との交流
その土地毎で交流の形は違えど、海の人々は塩を作るために必要な薪を山の人々から手に入れ、山の人々は生きるための塩を薪の材料となる木材と引き換えに手に入れていたのだと思います。いわゆる物々交換というものです。
もっと昔は山の人々が冬の時期に木を切っておき雪解けの川の水量が多くなる時期を見計らって海に向かって木材を流し、それを海に持っていって海の人々に塩を作ってもらっていたようです。それだとどうも要領が悪い、なんとかならないものかと苦心して物々交換のような交流が発展していったということのようです。
このような交流は比較的塩の生産量が低いところで起こっていた交流のようで、そうすると川の役割というのが非常に重要になってきます。宮本常一は言います「おそらく最初の塩の道は川であったろう」と。
薪は塩を生産するのみで使われるものではありませんから、どのような土地に住む人でも生活をする上でなくてはならないものだったと思います。そうすると「海に流していくのはけしからん」という声が起こり、海に出る前の町で木材を引き上げるわけです。この町で薪に使える木に製材し海の人に売る。売ったお金で塩を買い山に入るというような商売が起こります。
塩の生産量が多い町では塩を山に売りに行くというような商売も起こります。その際、塩だけを売るのではなく魚も一緒に売りたい。その方が儲けになるわけです。そうすると腐らないよう魚を塩漬けにし売り歩く。山の人にとってはタンパク源である魚も手に入り、塩も手に入るわけですから一石二鳥だったのだと思います。
このようにして土地毎で塩を手に入れる方法に違いがあり、そこに人間の知恵が息づいているのは非常に面白いと感じるのです。
旅に出かけると「釜谷町」とか「塩屋町」というのを多く見つけることができます。昔は塩を作るのに釜を使っていた事からも、きっとこの町は塩を販売していた町なのだろうと容易に想像できると同時に、近くに必ずといっていいほど海があり川が流れている景色を見てどのような思いを馳せることができるでしょう。今回お話した「塩の道」を使った交流や時代背景を知っているだけで、そこに住む人々の先祖の事、町の風景、山の景色が見違えるものになることと思います。
是非旅に出かける際ふと立ち止まって、この道はどこに続いてるんだろうと想像してみてください。そして地名に目を配って思いを馳せてみてください。きっとまた違った旅の面白さに気づく事になるかと思います。
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