宮本三郎は昭和49(1974)年に、69歳で亡くなった。いまから考えるとまだ若い。没後遺族より生地の松崎町に作品の一部が寄贈され、それは町内運営の公民館に何気なく飾られていた。あるとき美術に詳しい人が見て、それは何億円もの価値あるものだといわれて、町民は緊張した。それは大変ということで、以後は町内で当番を決めて、交替で寝ずの番をしたそうだ。そのころ使われた木の板の当番表も残っていて、感慨を誘う。
その後、残る多くの作品が小松市に寄贈され、市立の「宮本三郎美術館」が出来た。近代設備に古い蔵を生かした部分が接合する建物だ。所蔵作品に、戦後金沢のホテルの壁画として描かれた大作がある。依頼主は何と米軍。
戦後間もなく、米軍は金沢の白雲楼ホテルを接収した。ついては食堂に壁画が欲しいと、宮本三郎に依頼した。家の前にジープが来たとき、宮本三郎は動揺し、覚悟したという。てっきり従軍画家としての拘束だと思ったが、それは杞憂に終った。一月半で描き上げた「日本の四季」という6点の連作は、いまはこの美術館に常設されている。テーマは四季にそれぞれ働く人々で、春の酪農、夏の地曳網、秋の収穫、冬の伐採、そして朝の灌漑、夜の鵜飼だ。水彩画によるその下絵もあって、描写力の展開がいろいろと見られる。
(本文中写真:川上尚見)
【宮本三郎美術館】
〈住〉 石川県小松市小馬出町5 〈電〉0761(20)3600
http://www.msm.gr.jp/lib/
宮本三郎没後の1975年、遺族が生誕地の小松市松崎町に油彩画2点ほかの作品を寄贈。町では松崎町生活改善センター(公民館)に宮本三郎画伯記念室を設けた。1980年、その向かいに宮本三郎記念美術館を開設。この間は作品をまもるため、夜間、20軒の町の人たちが交替で寝ずの番をしていた。98年に遺族よりさらに油彩画60点あまりが寄贈され、2000年、宮本三郎が通った旧制中学校(現小松高校)のほど近くに宮本三郎美術館が開館、宮本三郎記念美術館は翌年、宮本三郎ふるさと館としてリニューアルオープンした。
〈開〉 9時~17時 *入館は16時30分まで
〈休〉 月曜(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日(土・日曜を除く)、展示替え期間、年末年始
〈料〉
一般400円 大学生200円 *高校生以下、65歳以上は無料 *ふるさと館と共通
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