原 それをチェコの、カルロビバリって町の映画祭にもってったんです。
(Karlovy Varyの場所、上図「A」のところ。Google Map)
で、その帰りにモスクワに寄った。
ヘラルドって会社はね、後発だからハリウッド映画はあまり買えなかった。ヨーロッパ映画を中心に、ソビエトの映画などを輸入していた関係でモスクワに人脈と信用があったんです。『戦争と平和』、『チャイコフスキー』っていうような映画を輸入していた。
発売元:株式会社アイ・ヴィー・シー ¥6,090(税込み)
ですからヘラルドの社長で、僕の恩人でもある古川勝巳さんがしょっちゅうモスクワに出入りしてました。実はそういう行き来の中で、黒澤さんに撮らせようっていう、根回しをやったんです。「裏面史」ですなあ。公式には出てこないが、実際にはヘラルドが根回しをした。
で、黒澤さんがモスクワにいる間、何本かの候補から選ばれたのが、「アルセーニエフ探検隊」でした。「デルス・ウザーラ」っていうのは、探検隊のガイドで、文明から隔絶した森の自然人ですよね。これを主人公にして、1本撮ろうよってことになるわけです。
そういう意味で、黒澤さん復活の切っ掛けをつくったのは、ヘラルドであり、古川さんだと思っているんですけどね。
映画が撮れないという悩み
司会 あれだけの巨匠でも、人並みに落ち込むってことがあったわけなんでしょうね。
原 映画撮れないってことは、黒澤さんにとってどんなことだったかと思います。
「デルス・ウザーラ」のラストシーンで、デルスが山から下りて、一人ぼっちでつくねんと居ます。あそこに、黒澤さんは自分を投影させているんじゃないのかな。自分のフィールドを奪われて、何もできなくなったというね。黒澤さんって、いつも映画のどこかに自分を仮託した人物を置いているから。街の一軒屋、ぽつんといるデルス。黒澤さんの心情だったでしょうね。映画を撮れなくなったおのれ自身のね。
司会 そのとき原さん自身は、黒澤さんにもうひと花、ふた花、咲かせてあげようという強いお気持ちだったんでしょうか。