原 僕ら現場には入れなかったんですよ。
司会 はぁ
中ソ国境紛争のただ中で
原 ロケ現場が中ソ国境でね。
当時は中ソ国境紛争が勃発していたころで、そんな目と鼻の先で撮影をすること自体、北京には面白くないという、そういう緊張のあった場所でした。ソ連にとっても、本来は外国人立ち入り禁止のエリアだったんです。
だから僕らはずっとモスクワで待機。入ったのは、監督のクルー6人だけでした。黒澤さんのご苦労も並大抵じゃなかった。きちんとノルマが決まっていたり、とか、機材も…
浜野 ひどく旧式だったと… フィルムが切れてた、なんてこともよくあったそうです。
原 もともとが酷寒の地ですしね。指も動かないからフィルムの詰め替えひとつ、想像に絶するものがあったでしょうね。
同行軍人がつくる料理に閉口
浜野 ホラ、なんといっても監督は食通でしょう。ところがロケ隊の食事は軍人がつくるんですよ。監視のために同行している軍人が、飯をつくる。これがほんとうにまずくてね、それで参っちゃった。そんなことだったらしいですよ。
司会 軍用糧食ですか…。
浜野 そればっかり。それも1年間。
原 あの映画は紅葉のシーンから始まるんです。シナリオにおけるファーストシーンていうのは最も大切なイメージでね。全山紅葉の中、小さな探検隊が行く、っていう設定です。
ところがシベリアの秋は短くて、撮り始めた時には終わってた。で、日本からいっぱい紙の紅葉をもっていって写してみたりね。最初から苦労の連続です。
すると監督は、そこのところを逆にモノクロで撮って、印象深いシーンにしていたなあ。
そういえば浜野さん、あのときの批評でね、随分叩かれたんだが中に「軽井沢の雑木林で撮れそうな」なんて書いてたのがあったんだ。どこかから出てこないかなあ。えらい悪口を書かれまして。僕は傷ついたな…。
浜野 今になって見てみると、あれは地球環境問題を初めて真正面から取り上げた映画ですよ。黒澤監督の、先見の明は疑いようがない。すばらしい試みだったと思いますよ。
今見るとよけい、ああ黒澤さんてのはすごかったんだと思う。地球的問題を、古老に仮託して描いていたわけでね。