しかし、風の谷幼稚園では「自分がしてもらったこと」と同じ行動をなぞることを、子どもたちに求めているわけではない。行動に至るまでの思考プロセスを経験させることが重要なのだ。
「『なぜ、自分がそのように振る舞うべきなのか』を子ども自身に考えさせるということが大切なのです。自分が年長児に優しく世話をしてもらった経験がある子どもは、自然と『自分が何をどうすればいいのか』を理解し、行動に移していきます」(天野園長)
優しさを表現する具体的方法を知ることも大切だが、風の谷幼稚園が一番大切にしているのは、その根本となる“人を思いやる心”を育てることだ。「心細い思いをしている人がいる」ということを察知し、「その人のために自分に何かできることはないか?」と思えるような優しい心である。この心は言葉で教えられて育つものではなく、自分の実感に照らし合わせながら自分で考えるからこそ育つ。そして、その心があるからこそ、具体的行動にも「温もり」が生まれ、信頼感や心を通い合わせる喜びが生まれていく。
「年上なんだからちゃんとしなさい」
これは何も教えていないに等しい
しかし、この心を育てるという観点が抜けた状態で、年長児となった子どもたちに突然レベルの高い行動のみを要求してしまうことがしばしばあるという。
「幼児期の子どもに対して、その場その場で『お兄ちゃんだから、小さい子の面倒を見てあげなさい』とか『年上なんだからちゃんとしなさい』と接してしまいがちです。しかし、年長児に世話をされた経験がなければ、具体的な行動として何をどうしていいのかがわかりません。実際に、『なぜ、そんなことをしなきゃいけないの』と反発したり、まじめな子どもほど『では、どうすればいいのか』がわからなくなり、戸惑いが重なって不安になってしまうのです」(天野園長)
「なぜ、そうするのか」「何をどうしたらいいのか」をイメージできない子どもに唐突に年長者としての振る舞いだけを要求することは、成長を促しているつもりがむしろ逆効果の可能性すらある。自分が優しくしてもらった「嬉しさ」を知らない状態で世話をすることを求められると「いつまでも小さいままがいい」という心理状態にもつながりかねない。特に家庭において兄弟の一番上の子どもや一人っ子の場合は、家庭以外の場における親以外の年長者との触れ合いが重要になってくる。だからこそ、家庭以外の新しい社会である幼稚園の新入園児のときの原体験が大切であり、その環境づくりに風の谷幼稚園では心血を注いできた。(密着レポート第8回参照)そして、その原体験があるからこそ、「入園を祝う会」はカリキュラムとして有効に機能するのである。
さらに、その原体験は、年長児が自分の位置を確認する手立てとなる。
「年長児になったばかりのとき、嬉しさとともに気持ちが空回りすることがよくあります。つまり、“自分は年長児になったけど大丈夫なのか?”ということが不安になり、形の上では年長児になっても、それに内面がついてきていないという不安感が子どもの中にあるのです。風組になったということは、こういうことができるようになればいいんだということを予め提示してやること。つまり手立てを与えてやることが大切です」(天野園長)
風の谷幼稚園では、この手立てを言葉だけで教えるのではなく、3歳児の段階から綿密に設計された原体験を通じて教えようとしているのである。