連載は第3回を迎えていよいよ佳境に。
黒澤監督作品が、世代と国境を超えて影響力を持ち続ける理由とは何か。
「技術の凄さ」だと原さんは答えた。それではその技術とは何か?
監督は映画を撮りながら、いつも何かを待っていた。
それは本当の「映画になる瞬間」。その瞬間をつかまえようと待っていたのだという原さんの証言に、重要なヒントが隠されていた。
巨匠の口から「あ、いま映画になったね」のコトバが出る時とは一体…
(司会・構成=谷口智彦・明治大学国際日本学部客員教授)
司会 スティーブン・スピルバーグ監督の言葉でしょうか。「クロサワは映画におけるシェークスピアだ」というものがあるのだそうですね。一体黒澤監督の何が、世界の名だたる監督たちに影響を与えたのでしょうか。
黒澤明における腕の良さとは
原 誤解を恐れず言うと、「職人」的な力かなあ。技術力の凄さ、ですかねえ…だと思うなあ。黒澤さんの映画には、もちろんヒューマニズムが根底にある。人間をしっかり見つめて描く。だけど、なにより腕がいいよねえ。その、技術的に凄いよね。驚くべき映像の力を持っていますよ。
『羅生門』(1)にしてからが、もちろんコンセプトやテーマがいいですよ。でも、まぁこれは撮影技師の宮川一夫さん(1908-99年)も偉かったんだろうけど、森の中の光を撮るのに鏡を使ってみたりね。
それから林の中の格闘シーンの撮り方なんかにしても、うまいよねえ。腕がある。で、僕、腕があるってのはねえ、結構重要なんだと思うな。技術ですから外国の人が見ても気づきますからね。
司会 けれどその腕前というのは、玄人が見れば分かるかも知れませんが、普通の観客だと見過ごしてしまうものではないでしょうか。
原 でも例えば、どんな映画でもいいや、そうだな、『用心棒』(1961年)。あの映画の「ああいう映像」、と言って、思い出せる場面、伝わるセンスがあるでしょう。
『羅生門』(1)
1950年公開。51年に世界三大国際映画祭の一つとされるヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞し、一躍黒澤明の名を世界に知らしめた作品。