2024年11月22日(金)

サイバー空間の権力論

2016年10月14日

 そして、VR技術はアダルト産業においても大いに注目を浴びている。3Dで表現されたアニメキャラや現実の人間を用いたアダルトVR作品はすでに製作されており、東京で2回開催された「VRアダルトエキスポ」といったイベントもある。アダルトVRでは、VRゴーグルとセンサー、そしてラブドールを用いることで、ユーザーの動きに合わせてVR上のキャラや人が動いたり、局部に装着した器具が振動するようなものもある。要するに、VRを利用したバーチャルセックスが可能になる、ということである。

疑似体験としてのVR
「疑似」とは何か

 前回の連載で筆者はAR技術が「空間の個人化」を促進すると述べた。今回取り上げたVRもまた、空間の個人化を促進する一面が認められるだろう。バーチャルセックスなどはその極みであり、人を介さず自分だけの空間構築が可能になる。本稿は最後により重要な論点として、VRを利用した疑似体験による現実空間のさらなる複雑化について考えたい。

 例えばVRジャーナリズムの圧倒的な映像体験は、従来の文字やそれに伴う人の想像力を超える力を秘めている。故にVRの圧倒的な「体験」を、人々の感情操作のための道具として利用することには注意が必要だ。映像の迫力を前に新たな現実感覚を受け付けられてしまう危険性があるからだ。

 ジャーナリズムは出来事の正確さはもちろんのこと、ペンによる主義主張が不可欠であるが、VRはペンの補強というには十分すぎるほどの影響力を持つ。仮の話だが、実際の戦場にカメラを設置し戦場を体験させるVR映像をつくるとしよう。ゴーグルをかけたユーザーは戦争を体験するだろう。しかし、A国とB国のどちらにカメラを設置したかによって、戦争体験から感じる我々の感覚は異なるだろう。自分の隣で倒れてゆく兵士を見れば、相手国に対する嫌悪感が増すのは当然のこと。こうした例は極端ではあるが、カメラの設置場所ひとつをとっても、VRが与える影響力の強さを考えれば、映像は慎重に製作されなければならないことは想像に難くない。


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