サイバー空間の権力論

2016年10月14日

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塚越健司 (つかごし・けんじ)

拓殖大学非常勤講師

1984年生。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)、共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、など。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップ担当としてレギュラー出演中(http://www.tbsradio.jp/dc/)。

 当然のことながらVRで表現された空間は現実=リアルな空間ではない。現状の技術では五感すべてをVRで再現することは難しく、我々はそれがVR=疑似体験であることを理解している。故に、上述したような危惧は考えすぎだ、という意見もある。バーチャルセックスによって若者がますます恋愛に消極的になるといった意見が巷に散見されるが、実際にバーチャルセックスに慣れてしまえば、それがどのような快楽を与えるのであれ、あくまで様々なアダルトツールの中の一つとして消費されることになるのではないか、というものだ。VRジャーナリズムも同様に、それがVRであること、つまり疑似体験であることを理解すれば、現実と疑似体験が区別されるということだ。

 だがインターネット上で日々生じる炎上事件をみるにつけても、我々はみたい情報だけを取捨選択しがちである。米憲法学者のキャス・サンスティーン(1954〜)が述べるように、インターネット空間においては同一意見を持ったグループが集まると、より同一意見への偏りが強化される「集団極化」が生じる。ネットを通じたVR動画が普及する未来においては、みたいもの/みせたいものだけを、みる/みせることが可能になる。これはユーザーにとっても映像提供者側にとってもより快適な空間の構築が可能となる一方で、我々の政治や性に関する意識、コミュニケーション作法上の共通前提の乖離を意味する。

 政治であれ性であれ、みたいものだけに照準を合わされた映像を雨あられのようにみせられる時、疑似体験の殻を破り、何が本物の現実であるかを志向する者はどれだけいるのだろうか。圧倒的な疑似体験は、現実にどれだけ介入するのだろう。疑似体験と現実体験との境は、ますます不明瞭となる現在の姿だけが浮かび上がる。付言すれば、そうした現実に関わる体験に関わる意識は、今後ますます現実をつくる側とつくられる側に大きな格差を生んでいくだろう。

  
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