この年になると、次の世代にバトンタッチすることを考えてしまいますね。なんとかうまく接ぎ木をしたいという感じがあります。私が言ってきたキーワードというのは、専売特許でもなんでもなく、偶然が私に思いつかせたもの。それでもまだ使い出はあると思いますんで、若い世代にもどんどん使ってほしいと思っています。その意味では、インターネットなどの力によって若い人の間に若冲ブームがきて、私なんかにも声がかかったのはうれしいことでした。
●世の若冲ブームは辻先生が火をつけたのかと思っていましたが。
——いえいえ。私はとくになにもやっていないんです。ただ、たまたま第一発見者みたいな役割になったというだけなんですよ。
昔、絵描きになるのを諦めたといういきさつがあるからか、私はものをつくる作家の人に、なにかコンプレックスを感じていました。人のふんどしで相撲をとる美術史という学問に、なにかうしろめたさを感じてきた部分があります。でも、ようやく最近になって、芸術作品というのは、作り手だけが一方的につくるのではない、つまり芸術作品は作る人と見る人との合作ではないか、と考えるようになりました。
達磨を例にすると、描く人が片目を入れて、もう片方の目はそれを見る人が入れる、ということなんじゃないかと。まあ、万人をうならすような作品というのは、放っておいても自ずと両目に目が入っているようなもんですけれども、中にはそうではない、誰かが拾って片目を入れてあげないと埋もれていくだけのものだってあるわけでね。
●埋もれていくタイプの達磨に片目を入れるのが、先生の仕事なわけですね。
——私に限らず、美術史家というのはそういうことをやるべきだと思っています。ただ、まあ、いろいろあっていいと思いますが。考証の仕事をずっとやる人がいてもいいしね。
●そういえば、どんな絵でも見続けることができるとか。
——そうですね。少々へたな絵でも、何が描かれているかわからないような絵でも、見ていて不思議と飽きないんですね。だから、絵を描く人にとってはありがたい存在なんじゃないかと思いますよ。
見る側がひきつけられている時間が多いほどその絵はいい絵だということになるでしょうね。少し見ただけで飽きてしまうような絵はやっぱり弱い絵。どれだけの時間、見る人間を引きつけておくことができるかどうか。3カ月かけて仕上げた絵でも30秒で勝負は決まります。絵は30秒もつかもたないかが一つの分岐点。30秒もつ絵は、もっと長い時間、見る者を引きつける力を持っているんだと思います。
この前、久しぶりに伊藤若冲の「動植綵絵」30篇を見たら、やっぱり新しい発見がありましたよ。絵というものは、見る度に発見があります。この絵はもう見ちゃったからもういいや、とは片付けられないものがある。