2024年6月13日(木)

ACADEMIC ANIMAL 知的探求者たち

2010年4月26日

 たとえば、若冲が青物問屋の倅だったことを思えば、「蓮池遊魚図」の見方も変わってくる。青物問屋の近くに魚屋があって、そこでは海でとれた魚とともに、びわ湖でとれた魚も売られていた。びわ湖では鮎がとれますよね。蓮も、やっぱりびわ湖のほとりに大きな蓮池があるんですね。だから、この構図は妙だと思われていますけど、もしかすると若冲はこういう構図もあり得ると思って描いたのかもしれない。まったくの空想ではなかったのかもしれませんよ。

●私は、若冲の絵を見ても何が奇想なのかわかりませんでしたが、先生の解説を読んで見ると、そうか、と思えました。

——ああ、それはね、絵そのものの美しさを直接味わうのとは少しそれてしまっているというか、絵に踏み込んでいるように見えて実はそれているのかもしれないよ。でも、美術史家というのは、それを恐れずやらなければいけないんですね。

 そして、美術史をやるんだったら、モノに直接対面するのが一番大事だと思うんです。それがやりがいというか生き甲斐。考古学者が土の中からすごいものを掘り当てるのと、モノにこだわるという意味では同じです。

 印刷の技術は確かにどんどん上がっていますが、実物を見るのとはやっぱり全然違うんです。図版では、大きさの概念がわからない。ネズミとゾウの違いがわからないようなものでね。3mある絵巻とそれを印刷した図版ではまるで違うでしょう。そこがこわい。大きさっていうのは実は非常に大事な要素なんですよ。カラーで印刷すると実物よりきれいになっちゃいますしね。実物の肌触りがなくなっちゃう。別のものを見てると思ったほうがいいでしょう。

 ただ、実物をみる場合、見る度に印象が違ってきてしまうという側面もあります。光の状態や自分の状態にも影響されやすい。実物を見ることはそれだけデリケートで重要だということ。
美術史というのは学問ではない、などと言われることがあります。そう言われるとき、学問とはなにか、と思い悩みます。実証性、客観性が学問にとっての最重要な柱とすれば、美術史といえどもそれらを大事にしなければなりません。

 しかし、歴史上の出来事を実証だけで詰めきれるでしょうか。それではわからないということのほうが多すぎます。それから時代の雨風を逃れていま我々の前に残っているモノが、見るものをしばしばギョッとさせ、感動させるのはなぜか。それも実証のものさしで測れることではない。

 こうしたギャップを埋めるのが想像力、イマジネーションの働きではないでしょうか。直感と連動した想像力の自由な働きと、それの反対側にある実証を求めての分析力・思考力。この二つの対立物がモノをめぐってせめぎあう地点、それが美術史の研究の場というものだと思っています。

◎略歴
■辻 惟雄〔つじ・のぶお〕東京大学・多摩美術大学名誉教授。現在、MIHO MUSEUM館長。1932年名古屋市生まれ。伊藤若冲ら、これまで注目されなかったユニークな画家たち“奇想の画家”と名づけ、その系譜への再評価を促 した。今なお、日本美術界に与える影響は大きい。

「WEDGE」 5月号より

 

 

 

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