市場衰退を豊洲で挽回のはずが
豊洲への移転が決まったのは2001年。振り返ると、魚の消費量は08年ごろに肉に抜かれ、しかも資源量も減り始めて、水産業に関わる人がどんどん疲弊していった時期に重なります。築地市場の経由率も低下傾向にある。
そのため、豊洲は築地で対応しきれなかった買い手のニーズに応える機能もあり、期待されていたんです。今はスーパーで魚を買う時代なので、扱いやすいように簡単な加工と包装をする施設ができるはずでした。量販店が扱いやすい形で魚を流通させるというのが結構な目玉だったんです。築地では市場内の交通が相当煩雑になっているので、交通・流通をスムーズにというのも、豊洲のうたい文句としてありました。
豊洲が移転先に決まったのは、鈴木・青島両都知事の時代の築地での再整備が建設費の増大と工期の長期化でとん挫したからです。築地で再整備するには種地になるようなスペースがなく、現にそこで営業している業者が一部でも反対すると工事が実現しないので、業者側も早期移転の検討をと都に求めた経緯があります。
築地で建て替えるのが難しくて都が豊洲を選んだわけですから、土壌の改良の余地があるなら、なんとか改良して風評被害も食い止め、イメージを変えて開場する努力が都には求められています。移転できるかどうかは、市場の安全が確認できるデータが示された時点がスタートになります。そこから業者に理解を求めれば、もともとは業界としても曲折を経て移転やむなしと進んできたわけですから理解を得られる可能性はある。
基本的にはより良い市場を、安全な市場をつくろうということで、移転せざるを得ないと話が進んでいたわけですから、豊洲市場を無駄にしないのが一番良い選択肢でしょう。安全問題を解決し、新鮮な魚介類がよりニーズに合った形で流通する広々とした市場を開場するというのが、一番理想的ですね。
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