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2017年4月4日

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風樹茂 (かざき・しげる)

作家、国際コンサルタント

作家、国際コンサルタント(kazakishigeru@gmail.com)。1956年、北海道生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。メキシコ留学後、中南米の専門商社を経て、南米アマゾンの奥地でODAプロジェクトの鉄道建設にかかわる。その後は、シンクタンク、研究所勤務などで、首相向けの政策提言、ODA援助、海外投資、NGOプロジェクトに従事。イスラム開発銀行のコンサルタントも経験し、30数カ国を踏査。石油関連事業でカタール、ベネズエラに駐在。

バブルと格差―アマゾンと日本

 痛みを伴う構造調整のおかげで国としては不況になったが、アマゾンの小村にはバブルがもたらされた。

 アマゾン流域の最果ての小村に、日本人、ブラジル人(橋梁建設はブラジルの会社)、ボリビアの各地の技術者が集まり、最盛期は村人も含め工事に携る人間は350人を越えた。ユカイモを主食とする自給自足経済のような村に、突如貨幣経済が入りこんだのである。

 ディスコが一軒から二軒になり、酒場が一軒、二軒、三軒と開かれ、テレビ(村に一台しかなかった)でビデオを上映する店もでき、しまいには村のはずれに売春宿まで開店した。コカインを売りに来る売人さえ現れた。

 一方、当時、地球の裏側の日本は国をあげてバブル経済の只中にいた。金余りは土地本位制の様相を呈し、日経平均は4万円を目指していた。ところが、1991年にはバブル崩壊。長い不況と金融不安が日本を覆うことになる。

 歴史の必然の符号(世界中の構造改革にはハーバード大学関係者が度々関与している)であろうが、ボリビアから15年遅れで、「聖域なき構造改革」の名の元、小泉純一郎政権下、新自由主義がおし進められた。ここで将来の日本にとって最大の禍根となったのは、2004年の派遣労働の大幅な規制緩和である。

 すなわち、正社員になれないため結婚もできない貧者の若者が増え、国内市場は縮小、内需に頼ることはできずに、円安と賃金抑制による輸出型経済となってしまった。少子化の最大の元凶は、教育費の高さとともに、労働者派遣法である。国内市場が活性化しない最大の理由である。経済活動はできるだけ自由がいいが、ただし労働、医療、教育、基礎インフラ(とくに途上国)を自由化すると、国民の多くは不幸になる。

 もっとも他者を非難するのは簡単である。筆者は、帰国後、投資や援助関係のレポートに何の疑いもなく、「民営化」「経済の自由化」「規制の撤廃」などを金科玉条のごとく書いていた覚えがある。

 92年ソ連の崩壊を見た西側諸国は勝利に沸きかえり、なんでも自由がよいというハイエクやフリードマンが持て囃された潮流の只中で自らを失っていたのである。

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