2024年12月3日(火)

WEDGE REPORT

2017年4月4日

 南米の小国ボリビアは1984~85年当時、度重なる政変と直近の社会主義的政策の破たんもあって、2万パーセントを超えるハイパーインフレだった。アメリカ主導の世銀・IMFは新自由主義を導入し、インフレ退治に成功したかに見えたが……新自由主義は、ボリビア、日本そして世界に何をもたらしたのだろうか?

新自由主義の実験

村名のチョチスとは先住民の言葉で「憤怒の風」の意味であった

 1986年初頭、ボリビアのアマゾン最南端の熱帯雨林の人口1000人に満たない小村のチョチスに赴任した。大成建設が請け負う水害で破壊された鉄道の復旧工事、援助の現場だった。

 ハイパーインフレの余韻が残る村には一軒しか店がなかった。サッカーシューズを購入するために、ホチキスで留めた旧紙幣の分厚い札束をふたつ持って買いに行った記憶がある。また、期末になると、労働者が新規に導入された消費税の還付のために総務部会計課を訪れるようになった。

いまだ原人が住むという裏山からは山降ろしが吹き付けてきた

 世銀・IMFの構造調整プログラムは、消費税(日本は1989年に導入)、百万分の一のデノミ(通貨切り下げで百万ペソを1ボリビアノスとした)、緊縮財政、民営化、価格統制の撤廃、金利自由化、均一関税の採用と非関税障壁の撤廃などの実施を迫るものだった。それらはインフレを退治し、マクロ経済を安定させた成功事例に見えた。だから、新自由主義はその後中南米と世界中に一層広まることになる。

当時、列車は週に1度の割合で脱線した

 けれども、同プログラムをたった2週間ほどで作り上げたというハーバード大学出身の、当時30歳前半だった経済学者ジェフリー・サックスは今更ながら、「あの改革や政策は失敗だった。国内のことを知らずにやってしまった」と回顧している。

ブラジルとボリビアを結ぶ貴重な鉄道路線だった

 ボリビア国民にはいい迷惑であろう。


新着記事

»もっと見る