トランプ政権になってジョージ・オーウェルの『1984』が売れているという。本の内容は偽りに立脚する全体主義国家を描いたもので、旧ソ連、現在の北朝鮮を思わせる。けれども筆者が住んでいたベネズエラは、民主主義の下、メディアを殺し、幻想の王国を作り上げた。どうやったのか? 現地でベテランジャーナリストらを取材した。
最初はメディアが政権にすり寄った
「ベネズエラでは、チャべスが選挙に立った時、主要メディア、とりわけ全国紙エル・ナショナルと、ベネズエラ最大のテレビ・ラジオ局のRCTVは一時チャべス政権を後押した。45歳と若くて政治経験もないから彼をコントロールできると考えていたんだよ」。二十数年、テレビやラジオのレポーターとして活躍してきたサンチャゴ(仮名62歳)は苦々しく言った。
軍人のチャべスが1999年に大統領になったときは、一大ブームだったのだろう。歴史から忘れられた人々、メディアから顧みられない層などの復権を目指して「貧者救済」「汚職一掃」「ボリビア革命」を唱え、旧支配層を一層し、新鮮な風を社会に吹き込んでくれる。派手なパフォーマンスと暴言は、視聴率を上げ、販売数をあげる。だからマスコミのお気に入りだった。だが、それだけではない。
地方紙を25年以上渡り歩いて、最後は編集局長となっていたアルベルト(仮名73歳)が付け加えた。
「ベネズエラのジャーナリストの多くは左翼だ。ベネズエラ中央大学などのジャーナリスト学部を卒業するか、ジャーナリズム組合で5年働ければ記者として認められる。大学教授も組合員も共産主義者が多い。チャべス政権ができたとき、彼らはチャンスだと思ったんだ。政治に参加できる、大使になれる、大臣になれる、そして政権をコントロールできるってね。それが裏切られた。こんな悲惨な国にしたのは、メディアの責任が重い」
サンチャゴは、政治的には社会民主主義者で、チャべスの大統領顧問だった人間が知人におり、アルベルトはキリスト教民主主義者で、2002年のクーデターの時に数合わせのため、請われて一瞬国会議員にもなっている。チャべス政権の裏を知る人だった。
「実際、政権樹立後、エル・ナショナルの社主の妻は情報局の大臣になった。編集局長アルフレッド・ペーニャは官房長官になって、その後はカラカス市長になった」(サンチャゴ)
現在、エル・ナショナルは全国紙では唯一残った反体制の新聞となっている。何が起こったのだろうか?
「マスコミ出身者は、入閣して民主主義とは全く無関係で、自由な報道を殺す犯罪政権だと気づいて、嫌気がさしたんだよ。カラカス市長になったアルフレッド・ペーニャがいい例だ。2001年彼はこういった。
“メディアに力を与えるのではなく、犯罪者に武器を与えるのがチャべスだ”
結局、2002年のクーデター時に反チャべスに回った。その後弾圧されてアメリカに逃亡している。ベネズエラの裁判所は彼を犯罪者として起訴しているがね」(サンチャゴ)