数年間、日本を離れているうちに日本の格差や貧困の焦点は大きく変わった。以前はリストラ、ホームレスなどが主要なテーマだった。けれども今、マスメディアがより取り上げるのは子供の貧困であり、その対策として、全国に俄かに広がったこども食堂のブームである。月に2度ほど開かれる食堂が、貧困解決と直接関連があるのだろうか? 東京の千石、葛飾立石、千駄木の各こども食堂を訪れてみた。
文京区千石 おたがいさま食堂
毎週金曜開催 こども100円 大人300円
おたがいさま食堂せんごくは、文京区の大原地域活動センター2階で開催される。都営地下鉄千石駅から徒歩10分。白山通りから狭い通りを入って行く。開始時間の夕方6時に着いたが、一人の母親がぽつりとキッチンに立っているだけだ。彼女はその日の当番で、メニューを決める役割があるという。さっそく手伝うことになった。
サンドイッチのためのロールパンに切れ目を入れ、ジャーマンポテトのためのジャガイモの皮を剥き、ポトフのためにニンジン、ブロッコリーを切る。その間、母親、父親が食材を持ちより、子供を連れて三々五々集まってくる。一人子が多い。足りない食材は誰かが買いに出る。父親、母親が台所に立つ。小学生の女の子が一人いて、手際良く手伝ってくれる。父親が手作りのキーマカレーを持参し、一人で参加している女性が煮しめを差し入れてくれる。すべてが自然の流れである。仕事も負担もあうんの呼吸で参加者がそれぞれ分け会う。
食堂で走り回る子どもがいるし、別室で絵本を読んでもらっている子どももいる。7時にはサンドイッチやジャーマンポテトなどができ、順次テーブルに置いて行く。子供たちが席につき食べ始める。参加者は私を含め、子ども13人、大人14人である。中には年配の母親を連れて来る方もいるが、20代~30代前半の親と就学前の子供が中心だ。
食事がすむと、さっさと片付けるとともに、同時にデザートのフルーツを出す。子どもたちが駆けまわり、テーブルの下に潜り込む。騒がしく、慌しい。どこかで見た懐かしい光景である。
著者は4歳(昭和30年中頃)まで、大家族だった。父母、祖父母、叔父夫婦、いとこ2名、合計9名が食卓を囲んだ。当時は、学校や学年に係らず地域の子どもたちと遊んでいた。家屋には外の世界と接する縁側や縁台があった。しかし昭和30年代後半には核家族になり、近所の友達も減った。縁側や縁台も消えた。
きっかけはうどんの買い過ぎだった
後日、食堂主催者の高浜直樹(30)さんのオフィスを訪れた。0歳児と4歳児を持ち、子育てを第一に考えていることから、子育て中の夫婦を主なターゲットとした「文京子育て不動産」を経営している。主な一問一答は次のとおり。
ー子育て不動産ってどういうコンセプトなんですか?
「地域密着型で子育てをしている家族に貢献できる事業を考えていて、3年ほど前に起業したんです。それぞれのご家族にとって「幸せなライフスタイル」を実現できそうな条件の部屋を一緒に探していくのをコンセプトにしています」
―どのようなきっかけでこども食堂を作ったのですか?
「阿佐ヶ谷の『おたがいさま食堂』主催者、齊藤志野歩さんと知り合って、楽しそうだなってずっと思っていたんです。あるとき、勘違いから生のうどんを2.4キロも買ってしまい、それを機会にうどんを食べる会のような形で始めました。人数ですか? 最初は口コミで12名ぐらいでした。ネットで告知しなかったら、二組だけのときもありました。15人前後だと落ち着いて話もできますが、先日は人も多かったし、おかずも多すぎたので慌しかったです」
―こども食堂は誰のためにある?
「第一は自分の子供のためです。ぼくは練馬から移ってきたんで、ゆるい形で地域のいろんな大人や子供と週に一度ぐらいは触れあう機会があればと思っていました。周りを見ても子育てが苦しそうに見える人が多いですから。基本的にやっていて楽しいから続けられるんです。子どもの貧困の解消をとくに目的としているわけではありません。自然の流れでそうなればいいとは思いますが」
―どんな親子が多い?
「就学前の子供が多いです。中には小学生が子供だけでくることもあります。その場合は親がつきそっていないので、食事がすむと家まで送って行く必要があります」
―他に苦労する点は?
「気を使うのは、子供のケガや衛生面ですね。食中毒とかになったら大変ですから。社会福祉協議会のボランティア保険には入っていますけど」
―料金は安価ですが、賄い切れますか?
「メンバーの差し入れなどもありますから。まあ、まれに足が出ることがあります。それでも、大原地域活動センターの利用料金が区民だと半額の750円なので助かっています」
―今後の展開は?
「ぼくも含めて仕事をもっていたりするので、おじいちゃん、おばあちゃんが、前もっておかずを作っていてくれて、それでいっしょに食べるのが理想ですね」
町会のような既存の組織と連携できればいいのだろうが、新住民が接点をうまく持つのは難しいところがあるという。