昭和30年代回帰大運動
テレビを中心とするマスメディアは、こども食堂は貧困家庭のためにあると喧伝することが多い。私は小学校から母子家庭で育って、葛飾区にも住んでいたことがある。そのように紹介されると、かえって貧困家庭の親子は行きづらくなってしまうだろう。
本来、貧困や格差の解消は政治が担う問題である。教育費の高さ(国立大学でさえ授業料年54万円)、40%を超える非正規社員などを変革しない限り、結婚難、少子化、こどもの貧困は解消されない。
けれども、こども食堂は、全国で300を超える(『子ども食堂を作ろう!』NPO 法人 豊島こどもWAKUWAKUネットワーク 明石書店)。社会的要請がなければ、ここ2年ほどでこれほど急速に増えることはない。前述した3つの例を見るように、こども食堂を作る目的やきっかけはそれぞれ違うのだが。ならば、こども食堂とは一体何者なのだろうか?
私は14年ほど前、拙著『ホームレス人生講座』(中公新書ラクレ)で、戦後の日本史を彩るのは、無縁の潮流であるとの趣旨を述べたことがある。とりわけ地縁と血縁(親戚)が薄れた結果、家族に過度の負担がかかり過ぎる。様々な国を訪れたが、これほど人々が無関係な星のように孤立している国は少なかった。だから幸福度が少ない。子育ても困難が伴う。
例外はあるが、こども食堂は、貧困解決とは直接の関連は薄い。その役割や効果は、
―食卓をともに囲むことで人と人が知りあう場となる。
―母親や父親の息抜きとなる。
―大人、とりわけ年配の人間には生き甲斐となる。
―子供たちが親以外の大人にも見守られていることを感じる。
―可視化できない困難を抱える子供や親を見つけ出すことがある。
すなわち、こども食堂とは、平成の昭和30年代回帰運動なのである。一時の疑似大家族とともに、失われた地縁を新たに作る運動である。
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