専用のオーディオブックにスピーカーやマイクロSDカードを内蔵した音声ペンを当てると、外国語会話や文学作品の朗読が流れる。国産初のカートリッジ式万年筆を開発した文具老舗のセーラー万年筆が、筆記具の需要減という苦境を打開する狙いで今年2月に商品化した。当初、日本の著名な文学作品を収めた『名作ふたたび』を投入し、通販ルートで好調な売れ行きとなった。3月に第2弾の外国語会話編を出すと、初回ロット分は瞬く間に品切れ状態に。観光、グルメ情報や鉄道会社などタイアップ先も増加しており、夏までにはシリーズ全体で4万~5万本の販売を計画している。
音声ペンの認知度を高めた会話シリーズはアメリカ(英語)、韓国、中国の3カ国語が発売されている。それぞれのオーディオブックには、あいさつや食事などの20シーンについて1000余りの会話文がイラストとともに収録されている。
個々の会話文の箇所には目視できない特殊なコードが印刷されており、そこに音声ペンを当てるとコードが読み取られ、瞬時にSDカードから音声が再生される仕組みだ。
各言語のオーディオブックは海外旅行者の間でロングセラーとなっている『旅の指さし会話帳』を出版する情報センター出版局からライセンスを取得。セーラーが編集して「YUBISASHIアメリカ」などの商標とした。実勢価格はペンが1万円弱、マイクロSDカードが付いたオーディオブックが2000円程度となっている。
元大蔵省官僚が商品化を主導
商品化を主導したのは社長の中島義雄(68歳)。元大蔵省(現財務省)官僚というと、霞が関関係者は「えっ、中島さんはセーラーの社長になったの」と驚くかもしれない。1966年に入省しておもに主計畑を歩み、早くから事務次官候補と目されてきた。しかし、バブル崩壊後に表面化した過剰接待問題の責任を取り「暗然とした想い」で95年に退官した。
官僚然とせず、民間人とも積極的に付き合うのが持ち味だったものの「脇が甘かった」と反省する。退官後はアメリカに渡って2年近く大学に通い、進路も定まらないまま帰国した。そこから企業経営者としての道が開けた。
かつて勉強会を共にした京セラ名誉会長の稲盛和夫から「どうしてたんだ」と声をかけられ、同社に招かれたのだ。入社直後から三田工業(現京セラミタ)の再建に取り組んだ後、京セラの中国法人トップも務めた。05年からは船井電機の副社長、顧問に就いたが、今度は3期連続の赤字と業績が悪化していたセーラーの再建を託された。
09年3月に常務として入社、前社長が病気で急逝したため副社長を経て同年12月に社長に就任した。セーラーは来年、創業100周年を迎える。だが、パソコンや携帯情報端末などの普及による活字離れで、主力の筆記具は苦戦している。