自らの表現方法を妥協なく求め、太平洋を躊躇なく飛び越えて日本に住む道を選んだアランと、注文者の求めるものを必死に探っているアランの間に葛藤はないのだろうかとちょっと気になった。
「そういう葛藤は全くありません。受粉のように、お客さんが花粉を飛ばし、僕がそれを受けて作品を生み出す。自分だけを満足させるものはいくらでも描けます。でもお客さんも自分も満足した時、作品はその人の中で完成する。そのための心の対話は崇高なものだと思う。絵を描く次元よりずっと高いと思っています」
お寺の鐘の音が流れ込む部屋の中には小さな机が置かれ、その上の壁に掛け軸が掛かっていた。
「額絵と違って掛け軸のすばらしいところは、部屋の中にこぼれ出るような効果をもっていること。掛け軸を変えることですべてが変わる。床の間がなくなったから掛け軸がなくなったって言うけど、飾りたい掛け軸があれば床の間が取り戻せるんじゃないか、床の間がなくても静かな心の拠り所を取り戻せるんじゃないかと思って、一生懸命に掛け軸を描いているんです」
アランを紹介する記事には日本画家と書かれていることが多い。が、しだいに日本画家では収まりきれないものがあるような気がしてくる。強いて言えば絵師に近いのかもしれない。
「日本画へのこだわりは何かと聞かれるんですが、こだわりは全くないです。日本画が静けさや静謐さを表現するなら、僕は目には見えないけれど感じ取れる自然界のエネルギーを作品の中で表現したいんです」
幼い頃に抱いた画家になるという志をずっと貫き続けた見事なまでの求道精神が、日本画界を刺激する存在として、いま目の前に作務衣と股引(ももひき)に手拭いを首に巻いて座っているような……。
「昨年、父が亡くなる前に、実家にある子供の頃からの僕の作品を一緒に整理したいと言うので、帰国して父といろいろ話しました。これ好きだったよとか……少しずつ僕を理解してくれていたのかな。その時、ここまで頑張れたのは父のおかげだったのだと感じることができました」
アメリカと日本。遠く離れて暮らすことになった55歳の息子の人生を肯定した父と、初めて認めてもらえた息子。父と話せて本当によかったというアランの目が光って見えたのは、部屋に揺れる灯りのせいだったのだろうか。
写真・岡本隆史
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