「僕の戦い方を消極的と見たPRIDEファンから大ブーイングを受けました。生まれてはじめて知らない人たちからも誹謗中傷を受けることになりました。勝って喜んでもらえると思ったのに、恩返しがしたくて勝ったのに、なぜなんだ、どうしてなんだって落ち込みました。あのときは本当に辛かったです。気が付いたら、傍にいたのは仲間だけでした」
勝利のあとだけにそのショックは大きく、身体の痛みよりも、心の痛みが大山を押しつぶそうとしていた。ファンの熱は急激に冷め、潮が引くように周囲から人がいなくなっていった。メディアも大山の復帰戦に対してはかなり厳しい論調だったと振り返る。
「プロは勝つだけじゃ認められない。戦い方が大事なんだ。ファンが求めているものに応えなければならない。それがプロなんだ」
悩み抜いた末にたどり着いたものは「大山らしさ」の追求である。ファンが望んでいるものは勝敗を超えた「やるか、やられるか」の大山のファイトスタイルで、それは勝利を度外視したものでもあった。
「デビュー当時の僕はあまり強くもないのに、対戦相手に恵まれていたんです。テレビにもよく出ていましたし、周りからちやほやされて、少しばかり天狗になっていました。でも、ヘンゾ・グレーシー戦のあとに人が離れてしまって、人の温かさや非情さを痛いほど感じました。そのおかげで、伸びていた鼻も思い切りへし折られて、等身大の自分になれたのです」
真っ向勝負でへし折られた右腕
これが競技人生最大の転機となった。
ヘンゾ・グレーシー戦の3カ月後に『グレイシー最狂の喧嘩屋』と表現されるほどのファイター、弟のハイアン・グレーシーとの試合が組まれた。グレーシー一族のリベンジを懸けた一戦である。一方の大山も決死の覚悟で臨んだ。壮絶な試合にならないはずがなかった。
「ヘンゾ戦と同じような試合をしてしまったらプロ格闘家として先はありません。積極的に前に出て戦えなかったら自分はもう終わりです。勝敗にこだわった戦略的な戦い方ではなく、後先なく真っ向勝負を挑んでいきました。それが応援してくれる人たちに応えることになると思ったからです。ただ、ハイアンからは、『負けられない』という一族のもの凄いプレッシャーを感じて、いま振り返っても怖い試合でした」
結果は腕ひしぎ逆十字固めによる大山の1ラウンドKO負け。
「引退後に語られる試合はヘンゾ戦とハイアン戦の極端な2試合です。ヘンゾ戦は悪い試合として、ハイアン戦は激しい試合として、人の記憶に残っているようです」
「僕はこの試合で右腕を折られました。バキバキっていう感覚が今でも残っています。あの試合も戦略的に戦っていたら、結果は違っていたかもしれません。でも、自分の意志を貫いて、真っ向勝負を挑んだ結果、腕を折られようともそれでよかったと思っています。自分自身納得しているんです。試合後に大勢のファンから、大山らしくてよかったと言われました。プロである以上、ファンの記憶に残る試合になってくれたことが嬉しいです」
「大山らしさ」を追求することは、自身の格闘人生をさらに険しくするものだった。
骨折したハイアン戦からの復帰戦で、なんと、左目も網膜剥離と診断されたのである。
「これで左右の目が網膜剥離と診断されたわけですが、目の前が真っ暗になって、帰りの電車の中で泣きました。泣きながら、友達に左目も網膜剥離になったとメールを打つと『大山なら大丈夫だよ』って戻ってきたんです。それでまた泣けました」
「ショックで落ち込みましたが、引退しろという診断ではなかったので、これで終わりだとは思わなかったんです。必ず復帰できると信じていました」