天平感宝元(749)年5月、大伴家持〔おおとものやかもち〕は越中国守の館にあって次の歌をうたった。
天皇〔すめろき〕の御代〔みよ〕栄えむと東〔あづま〕なる
みちのく山に金花〔くがねはな〕咲く
(巻18-4097)
天皇の御代が繁栄するだろうとて、東国の陸奥山に黄金の花が咲くことよ。
「みちのく山」は宮城県涌谷〔わくや〕町の黄金迫〔こがねはざま〕にある小山。ここから産出した金が献上され、東大寺の大仏(慮舎那仏〔るしゃなぶつ〕)の鍍金に使われた。「金花咲く」はその産金をふまえた表現であるが、ここにはまた黄金と花と太陽を結びつけたことばの宇宙が広がっている。
これは「陸奥国〔みちのくのくに〕に金〔こがね〕を出〔いだ〕す詔書を賀〔ほ〕く歌」(巻18-4094~97)のとじめの歌である。長歌からも知られるように、聖武天皇は盧舎那仏を天地の中心に据えて仏土を実現しようとしていた。太陽の化身である盧舎那仏はそれにふさわしく黄金に輝いていなければならない。ために鍍金の黄金が求められた。この表現の背後に太陽と黄金の結びつきがある。
そして万葉歌に知られるように「花咲く」ことも照り輝くこととうけとめられていた。照り輝くことで黄金と太陽の結びつきに花が加わる。また「咲く」とは「盛り」「栄ゆ」と同根のことばであって、人々はそこに横溢するいのちの力や繁栄をうけとめていた。それが「天皇の御代栄えむ」という表現に連関する。
時代は下るが『おもろさうし*』に次のような歌(オモロ)がある。
聞〔きこ〕ゑりやゑや 東〔あがるい〕方の金穴〔こがねあな〕 金花〔こがねばな〕の 咲き居〔よ〕れば 煽りやゑや おれよ 見ぎや 降〔お〕れわちへ
(巻4-159)
名高い煽りやへ神女はお祈りをします。東方の太陽の出現する黄金の穴に、金の花が咲いているので、煽りやへ神女はそれを見に、といって降り給うことだ。
太陽が昇ると東方の太陽(テダ)の穴に金色の光が輝き、金の花となって咲いているという。家持歌が天皇の御代を祈念するのに対して、これは曙光の生動する風景をうたっているのだが、黄金と花と太陽を結びつける発想は類似している。
万葉の北限地に咲いた黄金の花は、時を越え沖縄(琉球)にも花開いたといえよう。
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