幕末の若きサムライが見た中国
1862年、高杉晋作ら幕末の若者は幕府が派遣した千歳丸に乗り込み、激浪の玄界灘を渡って上海に向った。上海の街で高杉らは自分たちが書物で学んだ中国とは異なる“リアルな中国”に驚き、好奇心の赴くままに街を「徘徊」し、文人や役人などと積極的に交流を重ね、貪欲なまでに見聞を広めていった。明治維新から数えて1世紀半余が過ぎた。衰亡一途だった当時とは一変して大国化への道を驀進する中国と日本との関係を考えるうえでヒントになろうかと思う。(写真:近現代PL/アフロ)
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2019/07/07 樋泉克夫
中国西南辺境を旅した明治人たち。将来の中国における権益をめぐっての戦いに備えたものだった。中国権益をめぐる列強の戦いは、苛烈だった。中国辺境各地で、多くの無名の日本人が黙々と働いていたことだろう。明日の日本のために。
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高杉晋作の上海体験を読み解く
2018/08/03 樋泉克夫千歳丸に乗り込んだ人物の中で最も興味深い人物と問われたら、やはり百人中百人が高杉晋作の名前を挙げるに違いない。高杉の残した記録は主に漢文で綴られている。高杉の思いを損なわないように努めながら、適宜、判り易く現代風に訳しておく。
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中牟田倉之助の上海体験を読み解く
2018/07/26 樋泉克夫イギリスは表面的には清朝のために太平天国の攻撃を防禦するなどといってはいるが、内々に太平天国側に高性能兵器を供与するだけでなく、秘かにキリスト教を布教している。ということは、じつは太平天国によって清朝を敗北させ、清国を奪い取ろうという魂胆…
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日比野輝寛の上海体験を読み解く(後篇)
2018/07/10 樋泉克夫日比野の上海滞在が長期に及び、あるいは多くの友人知己を得て、アジア蚕食の牙を磨ぐ「洋夷」に対抗すべく共同防衛戦略の構築に取り組んでいたとしたら、その後のアジアで欧米列強が野放図に振舞うことは、歴史に見られたほどには簡単ではなかったに違いな…
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日比野輝寛の上海体験を読み解く(前篇)
2018/07/08 樋泉克夫上海に入港したイギリス船から「日本伏見ニテ大ナル變アリ」との情報がもたらされる。「洋夷ノ鬼子」は、その情報をどうして入手したのだろうか。日本を遠く離れた上海に身を置いているから日比野は、「伏見ノ變」の真偽を確かめる手段を持たない。当然のよ…
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名倉予何人の『支那見聞録』を読み解く
2018/06/20 樋泉克夫最近では北海道における土地の「爆買い」が問題視され、我が国安全保障の上で大きな不安材料となっているが、すでに江戸末期から土地漁りが見られていた。
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名倉予何人の『海外日録』を読み解く
2018/06/16 樋泉克夫上海の地で実感したのだろうか。実戦で鍛えられ最新兵器を備えた西欧諸国軍には勝てない、と。やがて明治維新の偉業に向け尊皇攘夷から尊皇開国へ。日本はまさにコペルニクス的大転を遂げる。
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峯潔の『航海日録』を読み解く(後篇)
2018/05/30 樋泉克夫国の防衛と治安を外国勢力に頼りきる清国に、「戦の沙汰もカネ次第」という現実を見せつけられた日本の若き侍は何を思ったか。
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峯潔の『航海日録』を読み解く(前篇)
2018/05/27 樋泉克夫1862年、太平天国軍が逼り緊張が高まる上海で、高杉晋作と五代友厚が交わした「密談」の中身とは?
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2018/04/28 樋泉克夫
1862年、高杉晋作ら幕末の若者は幕府が派遣した千歳丸に乗り込み、激浪の玄界灘を渡って上海に向った。上海の街で高杉らは自分たちが書物で学んだ中国とは異なる“リアルな中国”に驚き、好奇心の赴くままに街を「徘徊」し、あるいは老若問わず文人や役…
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2018/04/14 樋泉克夫
佐賀藩の支藩である小城藩出身の納富介次郎。二十歳前にして、上海に上陸した。そこでまず気になったのが、「なぜ、城門をイギリス、フランスの兵隊が守っているのか?」ということだった。
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第4回
2016/12/31 樋泉克夫許可なく外国人と交渉すべからずなどという幕吏の上陸前の注意など守るわけがなかった。まさに文久2年の“なんでも見てやろう”である。
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第3回
2016/12/03 樋泉克夫幕末からから現在までの凡そ1世紀半。この間の対中交渉の歴史を概観するなら、幕吏が曝け出してしまった失態を笑っていられない。悲しいかな、これが現実の姿ではないか。
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第1回
2016/11/03 樋泉克夫幕吏なんぞは商人や長崎の地役人に任せっきりで、何も知らない。ヤツらは商人からの報告を鵜呑みにして記録するだけ。商人は通訳を仲間に引き入れ、通訳は何から何まで「外夷」に相談する。こちらの意図は、相手に全て読み切られてしまう。かくてイギリス人…
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