コロールの街を歩けば、いたる所に日本統治下(1914年~45年)の名残を見ることができる。かつて『山月記』など名作を数多く残した小説家中島敦が教科書編纂掛として勤めた旧南洋庁庁舎は今もパラオ最高裁判所としてそのままの姿を留めている。そればかりか、小学校の門柱などは戦前そのままであったり、生い茂った草木の中にぱっくりと口を空けた防空壕を見つけることもできる。
日本の存在感は薄まるばかり
2015年、戦没者慰霊のためパラオ、ペリリュー島を訪問した天皇陛下らをパラオ国民は熱烈に迎えた。このようにパラオ国民の日本に対する親近感は今も根強い。世界一とも言われるほどの親日ぶりだ。
けれども、最も開発が進み、人口の大半を抱えるコロール島を回ってみても進出している日本企業は恐るべき少なさ。また観光客も減り続けている。日本の存在感は薄まるばかりだ。
資源、環境、観光を束ねる大臣、ウミー・センゲバウによれば、日本企業にも接触し、ホテルの進出や、インフラを含めた総合開発を提案しているが反応は良くないという。
そして、彼が危惧していたのは、パラオ開発がコロール島だけに偏り、パラオ最大の島である「バベルダオブ島」にはほとんど手がつけられていない点であり、また、言外に中国資本の積極的な動きを示唆していた。現に同島のリゾート開発目的で上海の開発業者が、同大臣を訪ねている。今年2月のことだ。
ミクロネシア諸島の中ではグアム島に次ぐ面積を持つ同島だが、熱帯雨林気候そのままの原生林に覆われている。南端にはとってつけたように「ロマン・トメトゥチェル国際空港」がある。しかし、空港があるだけでほとんどの観光客は、その空港から橋を渡り、コロール島に行ってしまう。
パラオの国土の70%を占めるこの島を一周するコンパクト・ロードと呼ばれる舗装道路が07年に完成する。原生林のあちこちに日本統治下でタロイモの栽培、稲の栽培を試みた跡地が点在する。と、突然、ローマ神殿を思わせるような建物が唐突に現れる。台湾政府の援助で建設されたパラオ共和国「国会議事堂」だ。
人気のない議事堂だけが、原生林の中に佇む風景は南国には似つかわしくない寂寥感が漂う。議事堂正面には、06年当時、台湾総統だった馬英九の名前を刻んだモニュメントが建てられている。この国会議事堂建設を機に首都がこの「マルキョク」に移される。首都移転前まで人口400人だった、同地区、この島全体の活性化を狙った移転ではあったが、人口はほとんど変わっていない。