いのちのリレー
さて、「孫の可愛さは、子どもとは別もの」とは、おじいちゃん・おばあちゃんからよく聞かされる言葉ですが、それは、『いのちがつながった』ことを確かに実感するからだそうです。「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね~?」「いのちをくれた人をご先祖さまというんだよ」。沖縄のオバアが、お墓の前で語って聞かせる『いのちのまつり「ヌチヌグスージ」』(サンマーク出版)は、自分が今ここにいることは、壮大ないのちのリレーの結果であることを思い出させてくれます。ぼくに、お父さん、お母さんがいるように、お父さん、お母さんにも、それぞれお父さん、お母さんがいる。そのお父さん、お母さんにも・・・・、とつながる様子が描かれた、折りたたみのしかけを広げると、視覚的にもそのスケールが実感できます。どこか一か所でも欠けたら、ぼくは、わたしは、ここにいない。多くの別れが、いのちをつないで今に至ることを、改めて気付かせてくれることでしょう。“ヌチヌグスージ”とは、「命のお祝い」という意味の、沖縄方言だそうです。
当たり前のことですが、“いのち”にリセット、やり直しはききません。家族のように過ごした犬や猫などのペットで、はじめていのちの終わりを体験する場合もあるでしょう。とにかく、実際にその時になってみなければ解からない、そして年齢によっても受け止め方が違ってくるものだと思います。『おじいちゃんわすれないよ』(金の星社)に登場する少年ヨーストは、大好きなおじいちゃんの死を受け入れることができません。おじいちゃんといっしょに遊んだこと、おじいちゃんが教えてくれたこと、いろんなことが思い出されます。そして、おじいちゃんがヨーストとの約束を忘れないように、赤いハンカチに結び目を作っていたことを思い出します。だから、今度は、ヨーストがハンカチに結び目を作ることにしました。おじいちゃんを忘れないように……。
「人は二度死ぬ」
「人は二度死ぬ」という言葉を耳にしたことがあります。一度目は、亡くなったとき。二度目は、記憶から消えて、忘れられた時。確かに…とうなづける言葉です。人は、記憶の頼りなさを承知しているので、形あるものや形式に頼るのかもしれません。墓標や形見の品、法要など、それらに助けられるのも、事実だと思います。私の手元にも、祖父母の思い出につながる品がありますが、目にとまったときには、自分自身が想い出にひたるだけでなく、多少うるさがられようとも、娘に祖父母やそれに関連した話をするようにしています。やはり、思い出してあげる事、話をすることが、亡くなった人が喜ぶことのように思うからです。やがて、自分もそうして欲しいという願望があるのかもしれませんね。